言霊学とは

言霊学とは、天皇の学問として、神武天皇以前からありました。

神仕組みにより、神武天皇の時代から封印がはじまり、その封印は崇神天皇により完全に封印されました。

その後、明治天皇の御代になり、皇后であらせられる昭憲皇太后がお輿入れの際に和歌の奥義書と、賢所に保管されていた奥義書を照合されたところ、言霊学の存在に明治天皇がお気づきになりました。

言霊学にお気づきになられた明治天皇は当時、書道家で神代文字の研究家であった山腰弘道氏と言霊学について研究されました。

その後、言霊研究は山腰弘道氏の御子息の山腰明將氏に受け継がれ、山腰明將氏の代になり、民間に開示される様になりました。

山腰明將氏に師事を受けた中に小笠原孝次氏がおられ、小笠原孝次氏により、言霊学の研究は大きく前進しました。

また、小笠原孝次氏に師事を受けた中に島田正路氏がおられ、島田正路氏により、言霊学の普及、さらなる研究がなされ、現在に至ります。

言霊学の研究盛んであった時代と同時期に大本教が世の中に知れ渡る様になります。

大本教の聖師、出口王仁三郎聖師により、霊界物語のお筆書きがおり、その中に言霊学の教科書となる古事記の解釈について述べられます。

山腰明將氏の言霊学の講義内容と出口王仁三郎聖師の霊界物語での古事記の解釈について少々違いがありますが、概ね、日本語の五十音図がこの宇宙の理を説明した言語であり、精神世界と物質世界とのつながり、それぞれの役割や、性質、機能等を表していることを説いている点では一致しています。

言霊学が世に広がりを見せたのは明治後期から大正にかけてが一つの山となります。

その後、昭和に入り、第二次世界大戦の世論により、言霊学が大本教との兼ね合いで一時期、下火になった様です。

敗戦後は小笠原孝次氏が継続して研究されていましたが、小笠原孝次氏没後何年かは封印されていた小笠原孝次氏の資料が書籍化され、現在の世に知れ渡る様になりました。