20年前の啓発本

私が、生きるのに苦しいと感じたのは中学時代からです。

中学生の頃は漠然と「生きにくいな」と感じていました。

そして将来のことを親から言われたり、自分で考えていると、希望がなくなっていきました。

中学生の頃に考えたのは「高校受験まで頑張ったら」、次に「社会に出たら」、次に「会社をて定年退職したら」といつまでも、頑張らなくてはいけなく、自分を殺して周りに妥協して生きていかねばならないと思いました。

今から妥協して生きていかねばならないなら、この後50年以上妥協していかなければならないと考えると本当にそんな状態で生きていると言えるのかと考えては憂鬱になりました。

そして、社会人になってから啓発本と呼ばれる本を読む様になりました。

その頃読んだ本の内容ですが、「こういう行動は嫌われる」、「こういう言動は嫌われる」と私からみると嫌われる原因は書いてあるのですが、「こうすれば良い」ということを読み取れずに「どうしたら良いのか」を探し続けていました。

一時は「嫌われる原因」を除けば良いと思って、嫌われる行動、言動をしないようにしようと努力してきました。

ですが、できず、できない自分を責めて、また、落ち込むというように、どんどんと自分を否定していき、行動を自分でどんどん制限していきました。(自分ではそのようにしているつもりでいました。側からみたらどうなのかはわかりません)

ですが、改善することもなく、答えも見つけられずに、生きてきました。

ですので、生きていても面白くなく、人と触れる事がとても辛かったです。

生きていても面白くなく、人と触れる事がとても辛かったため、少しづつ、啓発本を読むのをやめていきました。

長らく答えも見つけられずにいたのです。

その頃の自分は読解力がなかったのでしょうが、同じことを同じように書いてあり、そして、自分を否定する事しかなかったですが、どうしようもなくて、家で引きこもっている時に今の檀家寺の和尚様に勧められてざぜんをする様になり、仏教に触れて、光が見えたように感じました。

そして、今では、いろいろな本を読むにつれて、いろいろな角度から見ることができ、少し、生きるのが楽になってきました。

私の場合は、仏教(坐禅)でしたが、皆様も、新しい考え方や、今までと違う行動をしてみることで、今の状態を脱するきっかけができるかもしれません。

昨日と同じ1日を過ごせば、明日も同じ一日になります。

ベットから出られないのであれば、1分でも、ベットから降りてみる。

次の日は2分と少しずつ、行動や考え方を変える。

今までは、天井やテレビを見ていたのを窓から外を見てみる。

外の景色で昨日との違いを見つめてみる。

今日が少しでも、違えば、明日はまた違ってきます。

ダメだという考えから、変われるかもしれません。

試してみてはどうでしょう。