無事是貴人

私たちは、日常的に、普段と変わりないことや危険がないこと、または、健康でつつがないことなどをあらわす時に、よく「無事」ということばを使いますが、これも禅の世界では、少々意味が変わってきます。「無事」について、臨済禅師は「求心(ぐしん)歇(や)む処(ところ)、即(すなわ)ち無事」つまり、あれこれ求める心がやんだところが「無事」であると言います。わたしたちは、もともと心の中に仏さまをいただいて、なに不自由ないにもかかわらず、そのありがたい仏さまの性質を放っておいて。外に向かって、自分とにとって都合のよい世界を自ら夢見て目標を作り、探し求め、それを得ることに人生を費やしていると言っていいでしょう。

禅は、心を「空」にする為の実践です。私たちは、とどまることなく意識をはたらかせ、煩悩や感情に引きずられています。そこで、まずは、心静かにゆったりと一息ついてみましょう。コツとしては、なにもかも忘れること、姿勢を調える、背筋をまっすぐに伸ばして腰を立てる、息を吐く時に下腹部に少し力を入れながら静かに長く、を心がけることなど。にちじょう生活の中に、心静かなひとときを取り入れてみましょう。きっと内なる仏さまに会えるはずです。

原典「臨済録」示衆

朝の会で和尚様からの説法でした。