わたしの好きな禅語に
「平等の不平等」
という言葉があります。
どの本だか忘れてしまったのですが
禅に関する本を読んでいて、その中に紹介されていました。
その本を読んだのはもう、15年前になるかと思います。
その本の中で
「ある男がある春の日に里で桜の木に
桜の花が綺麗に咲いているのを見て
「とても綺麗だ」と思ったそうです。
そして、次の日に仕事で山に入っていきました。
そこにも桜の木がありましたが、
まだ、桜の花が咲いておらず、
その男はとても残念に思い、仕事を終え、里に帰りました。
里に帰ってから、
「里では桜の花が咲いているのに、
時も、場所もあまり違わないのに
山では桜の花が咲かないのはなんて自然は不平等なのか」
と思ったそうです。
そして、その事をお寺の住職との話の中で、
住職に
「里の桜も山の桜も同じ時期に咲くのが
平等ではないか」
と問うたそうです。
問われた住職は
「平等だ」と返したそうです。」
一字一句は覚えていないのですが
こんな話が、紹介されていました。
その時の私は、
禅とあってはいましたが、経験が浅く、
まだ、精神的にも立ち直っていない
状態でしたが、
この話を読んで、ハタと気付いたのです。
よく、自分は平等に扱われていないという事を
言われる場面が、多くなっていますが、
視点を変えると平等であるということが、
この世の中には沢山のあるということです。
これは、私の捉え方ですが、
紹介した話では確かに時期も場所もあまり、離れていないのであれば、
同じ様に咲かなければならないとおもいますが、
桜の木からしたら自分の咲くための、条件として温度や、その他の要因で、
一番最適な時期で咲いていると思います。
自然は、桜に対して全て、平等に機会と、咲く、条件を与えているのだと
思いました。
そのような、視点を持っていたから、住職は「平等である」と返答したのだと、
自分では、理解しました。
この「平等の不平等」という禅語を知ってから、
いろいろなことで不満に思うことが減っていきました。
常日頃、生きている中で、不満に思うことがあると思いますが、
少し視点を変えて見てみてはどうでしょうか?
何か、新しいものが、見える(知る)ことができるかもしれません。