気付きの深さ

私は40年近く「親に都合の」良い子であったように今は思います。

その「親の都合の」良い子を辞めた切欠?(気付いた)のはもう、どうしようもなく、生きるのが辛く(苦に)なったからです。

辞めた切欠?(気付いた)の時のイメージは大きな真黒い穴の上で一生懸命に足をばたつかせて穴から出ようとしている光景が頭の中に浮かんだからです。

イメージの浮かんだ状況は会社に属さず、自営業として、一から初めて、仕事を何とかこなしている時、仕事の段取りを考えながら昼間、車を運転している時に、突然、真黒い穴の上で一生懸命に足をばたつかせて穴から出ようとしている光景が頭の中に浮かんだのです。

イメージが浮かんだ時に、自分ながらに、「暗闇の上で一生懸命走ろうとしてもそりゃ疲れるは」と思い、「こんなことしていてはダメだ」と思って今と考え方を少し変えて、一生懸命頑張る(頑張る)のをやめよう(少し力を抜こう)と考えて、行動も変えました(考えるだけならこの時点より前でもやっていましたが、行動を起こしたのは初めてではないかと思います。ですので、行動を少し変えることが重要なのではないかと思います)

それからは、自分の行動をめいっぱいではなく、力を少し抜いて行動をとるようにしました。(だらだらやるとか手を抜くのとは少し違います)

それから、14年ぐらい経っていますが、その間に、何度も、同じ様な、感覚(想い)を感じながら、少しづつ、生きることが辛くなる度合いが減っているのが、現状です。

大きく、変わる人もいると思いますが、私は未だにだらだらですが、変わっているのを感じながら、生きています。

大きく変わる方が、かっこ良いし、説得力もあるように思いますが、薄皮を一枚づつ剥ぐように変わっていく人もいても良いと思います。

少しづつで良いので自分の描く理想の生き方につかづく努力をしつつける事を諦めないことで気付きの深さ(変化)が大きくなるのではないかと思いますし、自分は変化していくのだろうと感じています。