昭和の日

2014年4月29日、国常立尊様の指示の元、第38代天智天皇(天命開別大神 あめみことひらかすわけのおおかみ)から呼ばれ近江神宮へ行きました。

近江神宮は、勅祭社(ちょくさいしゃ)のひとつで、現在、日本に16社のみです。(勅祭社とは、祭礼に際して天皇により勅使が遣わされる神社のことです。)

近江神宮に初めて御縁いただいたのは、2006年11月6日のこと。ある方を通し、関係者は10ヶ所参りをして下さいとの指示を秋篠宮様からいただき、正式参拝をさせていただきました。その当時は、まだ神事を本格的にやっているわけではなく、近江神宮という名前さえ知りませんでした。正式参拝の場で、宮司様から「地球のことを宜しくお願い致します」と深々と頭を下げられ、御祭神の天智天皇と神職の方々に誓ったのをよく覚えています。その約8年後、再度正式参拝し天智天皇に向き合うことになるとは思いもしませんでした。

ある日、国常立尊様からの想いを受け、近江神宮に行くことを決めました。その直後、心に響くことがあり、急に押入れからある鞄を取り出しました。その鞄の中には、今まで訪れた地の神社や寺のパンフレットが数百枚入っているのです。(その鞄は、普段はほとんど出すことがないものです)その中に手を突っ込み一枚紙をつかみました。たった一枚つかんだ紙。それは、近江神宮が発行した案内でした。数日後行くことになっていたので、ちょっと勉強しておきなさい!ってことかしら?と思いながら、一通り読んでおこうと思い、読み始めたのです。すると、行事のところに、4月下旬 近江まつり と記されていました。「え!? まつり?もしかして、29日?(私が近江神宮に行くと決めていた日)」「29日が祭なら、ものすごくたくさんの人が来て、規制されてしまうかもしれない・・・」と思った私は、即社務所に電話して確認することにしたのです。すると、やはり29日が昭和祭であること判明。そして「たくさんの方がいらして規制されていますか?一般客は入れますか?」とお聞きしました。すると、電話の向こうの神職の方は「はい、どうぞ参列して下さい。」と仰るのです。「え!? 参列?」参列できますか?という意味で聞いたのではなかったのですが、流れで式に参列するとことになり、気付いた時は、名前も聞かれて正式参拝ということになっていました。最後に「一般の人は何人くらい参列しますか?」とお聞きしましたら「はい、あなた様だけです。一般にはお知らせしていないので・・・」と言われ仰天。

当日は、宮司様始め神職が5人ズラっと横に並び、参列者は私だけ、しかもド真ん中に座ることになり神事スタートとなりました。国常立尊様が「ド真ん中に座らされただろう!?天智天皇と一対一で向き合うその意味・自分の役割を感じよ、自覚せよ!」と厳しいお言葉。大きな菊の御紋がついている御扉が開かれ神事が始まり、事の重大さと役目の重さを感じずっと緊張。国民の代表として玉串奉奠もさせていただきました。昭和祭なので、昭和天皇にも向き合うことになったのですが、同時に歴代の全ての天皇にも向き合い、さらなる誓いをしてきました。神事終了後、神前でそのままお話しすることになりました「何故今回近江神宮へ?」ということを聞かれましたので、経緯をお話しし、国常立尊様からのメッセージの内容をお伝えすることになりました。「日本列島が真っ二つにならないように祈って欲しいということ(数年前からいろいろな神々から何度も何度も言われています。まだ間に合う!とも言われています。)近江神宮が日本列島という視点から見たらどのような位置にあり、どのように他の地と神々と繋がっているのか・・・どんな役割があるのか・・・その役割を意識してこういう祈りが必要である・・・どうか宜しくお願い致します」というようなお話しをさせていただきました。

その後、宮司様が「社務所にいらして下さい。お話ししましょう。」と仰って下さったので1時間半ぐらいお話しをすることに。明治神宮に30年お勤めされていた方で、ユーモアもありお人柄も大変素晴らしい方です。天智天皇・持統天皇・天武天皇や壬申の乱や額田王について感じること、また神事についてなどいろいろなお話しをしました。貴重なお時間をいただいたこと、参列させていただきましたこと、そして導いて下さった全ての存在に心から感謝しています。

そして、その後・・・

正装のまま、家に帰らず近江神宮からある人のところに直行しました。私をいつも応援し、支え、いろいろな形で助けてくれてるお友達のところへ。宮司様からいただいた、昭和祭のお供え物のお下がりの紅白饅頭をどうしても届けたたくて。連絡も取らずに仕事場に直行したのですが、その日はお仕事お休みで従業員は誰もいなかったのですが、たまたま彼女だけいました。昭和祭のお下がりであることを告げ、昭和天皇や天智天皇の想いがしっかり詰まったお饅頭ですと渡しました。すると、「ちょっとこちらに来てください!」見せられたもの何だったと思いますか? なんと、昭和天皇が、昔パレードの時に乗られたお車!! びっくりしました。昭和祭に参加し、昭和と昭和天皇を偲びお祈りしてきて、お下がりを届けたら、届けた先には昭和天皇がお乗りなられたお車があった! できすぎです。偶然とは思えませんでした。今まで倉庫に入ってて人目には触れなかったそのお車、数日前にその場に来たそうです。導きの凄さを見せられました。全ての導きに心から感謝しています。

昭和について少し。

昭和の時代は、号外誤報で幕開きました。

12月25日、「年号は【光文】だ‼︎」威勢のよい号外売りの掛け声がこだましました。大正天皇が崩御されて、年号がどう改められるか、関心がよせられているところへ、大正から【光文】に改元されたという東京日日新聞の号外。市民は五銭を手に、どっと号外売りにかけよりました。だが、【光文】は、″誤報″ということでオクラになりました。改元は皇室典範により、新帝が皇位を継承されると枢密院が定めるようになっていました。天皇崩御で葉山御用邸に詰めていた枢密顧問官たちは早速、会議を開いた結果、【光文】と定められたのだが、正式発表前に東日のスクープとなったもの。これでは不謹慎のそしりを免れないと【光文】から【昭和】に切り換えられました。このため、東日の編集主幹は″誤報″の責任を問われて、詰め腹を切らされたといいます。

神は、人類を正道に導く為、軸となり常に神と交信する役割として天皇陛下を定めました。しかし、人類は神から離れ過ぎてしまい、天皇陛下も今真の役割を果たせずにいます。

天皇家が真の働きを為さねば、日本は滅びますし、世界も滅びます。

日ノ本、日本の復活の為、神世の時代の天皇陛下(スメラミコト)の本来の役割を取り戻さなければなりませんし、我々もスメラミコトの尽力のお蔭で今があるということを真に悟るべきです。

近江神宮

御車

近江神宮

東京日日新聞

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