融和調和

言葉とは、「生命(いのち)の経験を他者の心に伝えるべく、また智慧を後世に伝えるべく、人類が神から賜りし最高の能力・恵み」です。

 

「真実」とは、「様々な人間がする解釈・異説・批評・中傷の試練を耐え、日々の行を積み重ね、ようやく勝ち得た普遍の静寂(じょうじゃく)の内に在りて、周囲に生命の光を発し、他者をより生き生きと活かす事の出来るものです。

 

それは本来の自然や宇宙に調和して融けこむように共存して行きます。

 

真実は人を苦悩から解放する力を持ち、軽く明るく光り輝くように息づかせます。

 

言葉のうちに真実を見出す為には、自らの感性・知性・理性・霊性のバランスと清浄(しょうじょう)さを保ち、悟性にまで高めなければなりません。

 

自らの魂の球体を、宇宙の球体に感応させ、言葉の持つ霊、つまり言霊(ことだま)そのものに感応させるのです。

 

我が魂と、言葉と、宇宙との三位一体の感応バランスが必要。魂の宇宙と、言葉の宇宙と、大いなる宇宙のホロニックな感応状態の維持が必要です。

 

そこでは一つを知る事が大いなる宇宙そのものを知る事と一致します。

 

「一即多(いつそくた)・多即一(たそくいつ)」です。

 

一(いつ)を知れども、その一(いつ)に囚(とら)われる事も無し。それは全ての在るがままに等しいから、その一(いつ)を切り取って搔き消したとしても全てがある。だから「多」とは「一切」です。

 

個々を通じて全体を感知し、個々が全体に融けこみ同化して生き続けるなら、個々の消滅にかかわらず全体は生じる事も滅する事も無し。

 

また全体は、個々の経てきたバラバラな時間の記憶の一切を内在させるから、全ての時が、全ての記憶が集約されてそこにあります。

 

「そこ」は「ここ」であり、「それ」は「これ」です。

 

「大いなる真実の宇宙」・「如(にょ)」は常に「ここ」に在り「是(ここ)」にあります。

 

「如是(にょぜ)」とは「全ての真実」が「個々の真実」と一致している事を示しています。

 

「本分」も然(しか)り。

 

「個々各人の自分」の在り方が「大元(おおもと)の総体」の在り方と何ら障(さわ)り在る事無く、調和して在れる「姿・言葉・想い」(身・口・意)の一致を言います。

 

もちろん「主(しゅ)は本(本)」にあり、「従(じゅう)は分(ぶん)」にありますから、この認識がひっくり返ると、自分が大宇宙の中心であるものと顚倒(てんどう)してしまいます。

 

「我思う、故に、宇宙在り」である。

 

宇宙には確かに意識があります。それ故、「閃(ひらめ)き」やシンクロニシティー(共時性)が働き、「言葉」や「文字」や「文化」や「智慧」が生まれました。

 

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今この世に生を受け、生かさる者は、責任重し。

 

人の備える、能力、叡智、己の最善、力の限りを尽くすべし。時は短く、み役は重し。

 

宇宙の運行、森羅万象、自然の調和、全てに神あり。

 

宇宙の意思は 遍(あまね)く満ちて、神のご意図の無きものはなし。

 

この世も神の意思の顕現(けんげん)せるもの。

 

宇宙の意思は、人をこの世に生かして、神の経綸進化を成就せむ。

 

人の為すべきは、霊へと通じる物質世界と精進世界の、融和調和の世界の進化の道を辿ること。

 

神の願いは、人類自ら霊性進化を進めることのみ。

 

全ては一つの循環なり。

 

人類、動物、植物、全てが互いを支え合い、助け合わずは滅びる理(ことわり)なり。

 

新しき世を築けるか。答えは全て、内にあり。

 

神に近く、神に仕える者たちは、最も近き道を行けよ。

 

回り道、遠回りする時間は無し。成さねばならぬことのみ成せよ。

 

与えられたる短き生の時を浪費することなかれ。

 

感情私情に惑わされず、普遍の道に導かれよ。

 

神は、人の進化と繁栄を喜び、傍にて人を守り導かるる。

 

黄色い花

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