本と分

「梵(ぼん)と我(が)」、「天と命(めい)を受けた人」、「大御霊と分御霊」の関係が「本と分」です。

 

つまり、「本分」とは如何(いか)なるものかを考える大いなる「暗示」となって来ます。

 

「本と分」に対する考え方の根本である「本」自体までが、敗戦と同時に「自由・人権・個人主義」を大切にする考え方に単純に置き換えられ破棄されてしまいました。

 

それまでの考え方の根源「まず第一に子孫(後世への繋がり)・国家・社会を含む全体(統一体・総体)を維持し、尊重し、その上で個人の在り方を捉えて来た」考え方の全てを顚倒(てんどう)し、履き違えし、破棄してしまい、無神経に、無配慮に仕方なく、アメリカナイズされたツケが現代に廻って来ています。

 

現代社会においては、一旦、意見や見解や立場が対立し出すと、なかなか解決が出来ません。

 

簡単なはずの揉め事さえもどんどん深みにはまりこんで行きます。

 

「自由主義社会」は「自己主張社会」であるから、意見を言う事によりドンドン「お互いの違う処」が際立って来ます。

 

「本」を同じくする「分」と云う考え方がないから、お互いの「都合」の言い合いになります。

 

※(「都合」は個人の成り立ちを出発点としており、「事情」は全体や場の成り立ちをまず考えるもの、としている。)

 

自己主張により、すぐ「貪瞋癡(とんしんち)を生じ、「場」はありありと争いの様相を帯びて来ます。

 

家庭・学校・企業・地域社会・国家・民族における争いの因に「本分」に対する見方・考え方の喪失が在ります。

 

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人の御魂は、本来神の分け御霊なり。

 

神の願い、人の最も大切なるは、御魂磨く、そのことのみ。

 

神の御霊を賜る、最も稀有の幸い恵みに感謝し、尊ぶ心を養えよ。

 

不平不満は、最も低き卑しき心の表れ。不平不満に明け暮れる愚かな罪を重ねることなく、己の生きてあることに感謝し、謙虚に慎み深く生きよ。

 

人はこの世の短き生を、人を愛することの為、人を助けることの為、利他愛育む為に、時を使うが大切なる。

 

己の言動全てが、神の心に適うよう、自ら諌めて、御魂を磨けよ。

 

人の尺度も大切にしつつ、神の尺度で生きるが肝心。

 

全ては神の御意思(みこころ)、全ての事象現象に、神を見よ。

 

人には人の力あり、神には神の力あり。神と人、それぞれの力を合わせて一つの完全なるもの創り出す。

 

己無く、魂清く美しく、

 

神に命を捧げ、人の為に己を尽くし、互いが互いを尊重し、それを喜びとする御魂が次の世には残され、次の世を担う重き使命を務めるなり。

 

神と人、森羅万象、全て元一つなるを、よく心に留め置きて、御魂を磨き、己の役目を怠ることなく果たせよ。

 

一人の行、精進努力は、一人のためになく、宇宙全体に繁栄されるものなれば、一人の勝手な行動、思い込み、自己中心の偽善独善、わがまま、怠惰、行や役目の放棄は許されぬなり。

 

人よ、励み、行じ、神の経綸手伝えよ。

 

日ノ元ツ国、神の子なる、尊き大和の魂は、高きは低きを卑しまず、低きは高きを敬いて、互いに親しみ睦み合う。

 

尊き大和の心を蘇らせよ。大なる和こそが、大和なり。

 

白い花

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