中今(なかいま)

「中今」という言葉がありますが、「今」とは次元的に意義を異にします。

 

「今」は単に現在とか、現世という時間的な意味しかありませんが、「中今(なかいま)」は時間的意味に加え、空間的中心の意味も併有する、複合的意義を持ちます。

 

時間とは、時の流れの循環で、一つの円にあり、終始無く、逆に言えば終始同時に存在している、無限の円環・循環・流動体、今ここにしかない「永遠なるイマ」です。

 

時間以外の空間的意義には、物質的空間、霊的空間、位相的空間があり、物質的空間に観た「ナカ」は、天・人・地、「霊的空間」に観た「ナカ」は、神界(高天原)・顕界(中ツ国)・幽界の(根ノ国)の三界。

 

位相的空間に観た「ナカ」は、静的存在を意味する中心とか中点という観点ではなく、動的存在を表したり作用の状態を表す中位・中相という「ナカ」であり、陽(タカミムスビ)・中(ミナカヌシ)・陰(カミムスビ)で表わされます。

 

生命的には、先祖と自分と子孫。先祖とはミオヤ(神)に通じる親(過去)、孫とはミコト(命)に繋がる子(未来)です。

 

その中間にあたる自分とは、陽(父)と陰(母)との結び為され中相的な存在。

 

簡単に整理すると

 

◉時間的には・・・今この瞬間に、過去・現在・未来の全てが同時に存在し、畳み込まれている状態のことです。中今に生きていると、過去・未来というものがありません。この瞬間を無心で生き切るのです。

◉生命的には・・・先祖・自分・子孫。

◉空間的には・・・天・人・地。

◉霊的には・・・神・顕・幽。

◉位相的には・・・陽・中・陰。

 

つまり「中今(ナカイマ)という思想は立体的なもの。

 

古神道の根幹・中核なる「中今(ナカイマ)」原理は、中立・中極を為す存在から産まれ出て、その中極から産まれ出た八百万の神々も中極であり、そのまた分霊である我々も中極に結ばれている「ナカイマ」的存在です。

 

「中今に生きる」とは、毎日の生活の中で、その日々の働きが充実し、その瞬間が永遠なる命の価値を持っているということ。

 

時間的、生命的、空間的、霊的、位相的に「中今」を一貫し、神と人とが共に大和楽という光の国である高次元の世界を、創り為すということです。

 

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神の教えは普遍の真理。

 

それぞれの進む道、霊行、示すことなし。

 

人は失敗、過ち、繰り返してのみ、神の真理、悟りに到達するもの。

 

書を読み学び、人から教わり得しものは、表面のみにて、すぐに消えゆく。

 

正しき真理は一つのみ。

 

感情に惑わされず、回り道することなく、普遍の道に導かれよ。

 

人の遺伝子情報は、人の命の産まれて死ぬるまでの過程全て刻まれし。

 

人類全ての進化の過程が刻まれしものもあり。

 

時間の流れの中で、何をせしか、どちらに進むべきか、御魂の進化に合わせて始まるように、己一人でなく、全人類の御魂全てが同時に共に開花するように、時空を超えての、情報も記されし。

 

己の命は、一人のものだけでなし。

 

個を超え、全ての御魂と繋がり、宇宙進化をなすと悟れよ。

 

今を生きるとは、時空を超えて、永遠の命を生きるということ。

 

御魂の進化は心と体と深く関わるものなり。

 

体は心の影響を受け、心は御魂に統制されるなり。

 

御魂磨かねば、遺伝子の情報は眠りしまま、活性化することもなく、目覚めぬこともあり。

 

秘める能力発動するかは、己次第。

 

御魂の進化は永遠なれば、弛まぬ努力と精進、御魂を磨き鍛えるべし。

 

岩

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