神、自然を敬い、真の信仰心を持つは大切なり。
過つなかれ、真の信仰心は、我欲信仰、執着、こだわりでなし。
信仰持つ者の多くは、独善、己中心になりて、正義心、こだわり、我執強し。
宗教、信仰は、神への忠誠を示し、真(まこと)を深め、讃え、崇めることが、元の始まりなりて、元の始めは、邪(よこしま)な思いは無し。
なれど、今の多くの宗教団体、人の集まりは、上下差別を作りて、規模拡大維持、現世利益にこだわり、真の教えを行うことは、後回し。神の真理を伝える宗教少なし。
真の信仰あやまたざらば、御魂を磨き高めて、進化さす。
昔の信仰、そは単純。
自然と共生、全てに感謝、調和して、真摯に、素直に、謙虚に生きる、それのみなる。
信じるにも、目に見えぬものにばかりすがりて、助け求め、心とらわれ過ぎ、精神世界にのみ身を委ねるは、他力本願、中庸あらず。
神のことはよくわからぬという者とて、心の奥には神の居場所ありて、徳を積み、愛の光で生きる者ある一方で、神信ずると言うて、見えぬ世界の知識を貪るばかり、徳を積まず、不平不満、我欲強く生き、神から遠く離れる者もある。
口先だけの信仰心は一切通じぬ。
地に足をつけ、日々の生活大切に、心に真の愛と信仰心を養い、徳を積むが惟神(かんなんがら)の道であり、さなる者こそ、光に導かれん。
徳とは、もと、本性(ほんしょう)のままの素直な心、誠意なりて、人の霊格、人格、品格を、そのまま映す、鏡なり。
表情にも、言葉にも、態度にも、声にも顕れ、いかに誤魔化し、繕いても、隠し通せぬもの。
誠意は、優しさとなりても顕るもの。
苦しむ人に心寄り添い、いたわりて、その痛み悲しみ苦しみを等しく感じ、分け合うことが、神の望まる優しさなり。
苦しむ者に、苦しみの意味を諭し、神への感謝を説くがよい。
苦しむ者の鏡に映る己の姿を受け止め、己の苦しみを肩代わりする、尊き禊ぎと感謝せよ。
人の禊ぎは己の禊ぎ。
共に苦しみ、共に悲しみ、共に喜ぶ、豊かな心、誠意、優しさを、神は喜ぶ。
優しさ、豊かさ、心の潤いなくば、神の手伝い出来ぬなり。
光は清き魂通じ、神の慈愛をこの世に映さん。
私利私欲なく、嘘偽りなく、己の内なる神、良心に従い、素直に、真面目に、奥ゆかしく、慎み深く生きゆくことが積み重なりて、尊き徳となる。
誠実なるが、人の真性なり。
全てにおいて誠意をもち、
今この時を全身全霊傾け生きよ。
人は神の御魂の一部なり。神の願いをこの世に映し、成就するために、神のみ業(わざ)を祀り、宇宙の神秘、神の慈愛と栄光を讃え尊ぶ使命。
神の望む命を生きて、未来の命に継がむ、神の教えと 栄光を。