惟神(かんながら)の道

神は地球人類自然を救いたし。

 

人の全てが悔い、詫び、改心し、真に心を浄める努力をなすのならば、世界平和も易きこと。

 

なれど進まず、実現せぬは、今の人類の心の底の闇に潜める、我欲、執着、迷い、疑い、嫉妬などの愚かさ、低さ故。

 

心の曇りが神との交信妨げる。

 

今の地球人類の危難を救うは、良くも悪くも、決めるは人の心次第。

 

人の心の在り方一つで、流れと動きは変わり、地球浄化に転じてゆかん。

 

無私無欲の境地で、努力惜しまず修行続けし魂の光は、波動となりて地上を覆わん。

 

不安や恐れの心は禁物なり。案じる心が波動となりて地上を覆わん。

 

一つの現象事象には、明るき面と暗き面の表裏有り。

 

全ては人の思いによる。

 

己の思いの奥底の、闇に潜める我欲や傲慢さや不安や恐れにとらわることなく、己を蝕む負の感情に打ち克てよ。打ち克つとは、排すに非ず。そを受け容れて、光に転ずることなり。明るき波動を拡げよ。

 

この世に生まれし肉体に

 

命を賜り、今この時を生きる意味。

 

宇宙は一つの巨大な命、人の命も宇宙の命。個人の所有に非ず。

 

人の魂、命の根源は、神の光の分け御魂なる故、人は、神の働き担うもの。

 

人の命は自由に非ず。それぞれ役目を賜り、使命を果たし、宇宙進化を手伝うが務めなり。

 

現世にて人の生の終わりはあれど、死とは終わりの意味ならず。命の根源なる宇宙に還りゆき、融和して、豊かに富まし、宇宙進化に貢献す。

 

生死は一体。始まりは終わり、終わりは始まり、円環の内を巡り巡りて、次なる生に継がれてゆかん。

 

人の生。人には、幾多の困難、悲しみ、苦しみ、辛きことありて見ゆるが、そは幻影、己の我欲我執の裏返しなり。

 

素直な心と神の尺度を持ち、生きるのならば、何の苦しみ、困難があろうか。

 

人は己の魂を、鍛え、磨き、浄化し、神の手伝いをせんが為に生かされし。

 

なれど、神との繋がり、太古の結び、本来の生の意味を人の多くが忘れ去り、魂汚し生きる者、なんと多かるや。

 

我欲・金銭欲・物欲により、魂曇りて、惟神(かんながら)の道から外れゆく。

 

金銭・物を欲しがるなと言うのではない。

 

活動に応じた金銭をいただくことは、褒美のようなものであり、生活や心を豊かにし、人を喜ばせ、励みにもなる。

 

必要以上に求めることなく、金銭・物に魂を奪われることなきようにすること、物も金銭も我が物とだけにすることなく、世の為人の為に分かち合うべし。

 

日々たくさんの恵みを与えられていることに、真心を持って感謝する心は、奉仕の心となりて、調和を産み出す。

 

調和の心こそ、神の意思であり、心である。

 

調和の中にこそ創造・産み出す力あり。

 

これを産霊(むすひ)の力と言ふ。

 

この世の全てを生かし、全てを完成する働きである、この産霊の力こそ、全ての繁栄に繋がり、全人類が共存共栄できる神の道。

 

調和と協調の根本原理を貫いた惟神(かんながら)の道は、日本の心であり、天地自然の遵法である。

 

調和の中で、天地自然の法則に従い、惟神(かんながら)の道を志し、努力精進することに真の平和あり。

 

神と人、人と人、縁を結びて、絆を深めて、円は拡がる。

 

全ては循環。

 

惟神の道とは、宇宙の循環の中で、神の意に沿い、神の基準に従って、己の霊性、感性、知性、理性、徳性を磨きながら

 

努力し続ける道なり。

 

山頂

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