宇宙も天地も全て想念で動く

いろはにほへと

ちりぬるを

わかよたれそ

つねならむ

うゐのおくやま

けふこえて

あさきゆめみし

ゑひもせす

 

生の中に死有りて、死の中に生有る也。

生を離れて死もなく、死を離れて生もない。

則ち生死、元ひとつ。

いろはにほへと

神仏の響き(言の葉)也。

 

「いろは」は、この世の無常を歌った、はかなさいっぱいの歌です。

涅槃経という仏教の偈(げ)=四行詩から来たものと言われてます。

カタカナ(象神名)は、神代の時代から、神代文字としてあり、カタカナから、空海がひらがなを用いたそうです。

◎イロハニホヘト  チリヌルヲ

是れ、「諸行無常の心也」。

 

諸行の常なきことは、匂へる花の風に散るが如く。

万物一切止(とど)まること無し。地水火風の為に五体を具足、形あらわす。是を形色と名付く。其の形の色、朝に夕べに変化し、盛んなりしも、つひに衰ふる。其形色衰ふるを観じて、「イロハニホヘト チリヌルヲ」と、一切万法如是諸行無常の心を詠みしなり。

◎ワカヨタレソ   ツネナラム

「是生滅法の心也」。

 

我も人も常なるもの無し、無常の法(のり)を示し、生ある者は必ず滅するの意。

◎ウ井ノオクヤマ  ケフコエテ

「生滅々己の心也」。

 

迷いの大山を超えて、涅槃に入るといふ意。

「ウ井」とは、この世は因縁所生にして、しばらくも止(とど)まること無きもの。因縁和合して生じ、散じて滅す。

無為の涅槃の世界に入る心で、超えがたい有為の生滅の山を超える。 

◎アサキユメミシ  ヱヒモセス

「寂滅為楽の心也」。

 

涅槃の世界に入り生死の有為の法則(のり)を観ずれば浅き夢の如く、生死に酔うこともなし。

 

いろは一音一音、言霊解釈すれば、天地開闢の理(ことわり)示し、同時に人間の生をも現わしています。つまり、表面的には、無常という真実を知らしめ、裏で「生」を知らせています。始(し)は死(し)であり、いろは47音は生死元一(もといつ)成るが込められた、神仏からの響き(言の葉)です。

いろはの47音+ん=48音

神社での参拝の時に、拍手を「四拝八拍手」で祈ることがあります。「四方を結んで八方に開く・拡げる」。四十八(よとや)とは、神の名であり、1つ1つに神の意と力があります。四十八とは、数の表す通りではなく、千も万もの働きをする意味です。「よとや」の音霊「よ=世」 「と=常永久」「や=やわらぎ・やすらか」なので、「この世を永久に治め護る」ということです。四十八(よとや)と言っても、千にも万にもなり、元なる神は一つ。

 

あいうえお・・・一音一音全ての言霊が、神であり、神力です。

言霊は、想念そのものです。心が波動として放たれたものが言霊です。

この世は、想いと言葉と行動のうち、想いを軽視する傾向があります。想いは、物質とは異なり実体が無いものだと、勘違いしている方が多いです。しかし、事実は、心の中で思考された時点で全ては存在し、その一部が物質世界に顕在化します。物質世界に顕在化されなかったものも、波動として実際に存在し、周りの人の思考にも、そして宇宙にも影響を与えます。

善きことを思えば、善きこと表れます。全ては、己の想念一つであり、祈りの高さと強さによります。

密教でも「身口意(しんくい)が大切である」と言いますが、想いと言葉と行動が一致していなければ、必ず不調和を起こし、なんらかの形で表に現れます。病気もその一つです。人生が思うようにいかないのならば、身口意がバラバラであるために上手くいかないのです。シンプルです。

神は、天地創造の時から、言霊の神を出現させ、宇宙も天地も全て想念で動かしています。

地球は、人間が信じようが信じまいが、想念の星であり、地球も人間と同じ構造の生命体です。

想念美しく清き魂の人が一人でも増えていけば、地球の浄化は穏やかに自然に進んで行きます。

山

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