真の信仰心を蘇らせよ

信じることは、人にとりて最も難しきことの一つなり。

人は、疑いと信じることの狭間にて、常に揺れ動くもの。危険なるは、いずれか片方のみに傾くこと。

信じる時も疑い、己の心や考えを、客観的に冷静に見直せよ。己に曇り無きか、心に歪み無きか、信じる己の我を戒めよ。

疑うことは、悪ならず。神を信じることは尊きこと。なれど、盲信・狂信、疑わぬは、慢心、独善、執着の元。

時には己自身を問い直せ。止まること無く、常に真理を、神意を問えよ。

疑い、問い直すことで、不安を生むな。不安は、己を弱め、波動を下げる故、波動上昇妨げること無く、己の中を真我の光と愛と感謝で満たせよ。

不安感は、神に心が向かぬ状態・宇宙の完全なる叡智を信じぬことから始まる。

信じ切るとは、全てを委ねるに非ず。信じる者には責もあり。理性、知性を失うな。常に己を外から眺め、凝り固まることなく、問い直し、他からの言葉に耳傾け、心の扉を閉ざすこと無かれ。

己自身を疑い、非を認め、改むるは、勇気を要し、辛く、難しきこと。なれど真(まこと)の信仰は、頑なな縛られた状態ではなく、柔軟で自由なること。

今の時代に欠けているものは信仰心なり。信仰とは宗教に入ることに非ず。一つの宗教を盲信し、他の宗教全てを拒否するは、真の信仰心に非ず。

信仰心は、本来誰に教えられることなくとも、それぞれの心の中に在るもの。

神や目に見えぬものなど信じぬという者もおるが、身内が亡くなれば、お葬式をし、天国へ無事に行けるようにと願い、法要・お盆も祈りを捧げる。魂は死後の世界があることを悟るなればなり。

信仰心とは、生死含め、森羅万象全てを司る神への無意識の感謝なり。

神そのものである自然の営みにて全てが循環し、禊ぎ清められん。

今こそ、神への感謝、自然への感謝、ご先祖様への感謝、命あることへの感謝を捧げ、真の信仰心を蘇らせよ。

雨

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