知瑠恵(しるめぐみ)と知恵

「不動とは、いかなる知恵・力をもってしても、動かす事の出来ない天地の理(ことわり)、即ち不動なり。明王とは、その智慧なり、力なり」

 

この教えそのものが、神仏の大御意志(おおみごころ)、「知瑠恵(しるめぐみ)」と「知恵」との違い。

 

神仏の大御意志は、「生えて生やす、生まれて生む、食べて食べられる」輪廻転生の食物連鎖の神仕組みの中に、生命界が永遠に照り輝くよう、そして万世までの太平の基(もとい)を築くよう、「知瑠恵」の御神力氣を生産(うみ)出し、永遠の弥栄への倫理(みち)を神の子人間に託し、約束されました。

 

知瑠恵(権威の魂)とは、お互いに支え合い助け合いの絆でもって、自然界・生命界の弥栄と成る導きに徹し、恵から恵を生み出して行く神仏の大御意志のことです。

 

知恵(権力の魂)とは、お互いに支え合い助け合いの絆に反論して、自我の欲から始まり欲を生み、自然界・生命界を破壊してまでも、神に背いて築き上げて行くことです。

 

従って、私たち人間が「知瑠恵」に徹し切る事が出来る時、この邊津(へつ)・地球の生命の宿地にどれ程の生命の身、人間が満ち溢れようとも困る事のないだけの恵と宝が集められているのがこの邊津・地球です。

 

聖書にも「生めよ殖やせよ地に満てよ」と記されています。

 

このようにして、太陽の神力氣(しんりき)と宇宙産迂迦(うちゅううが)の神力氣との間に、知瑠恵の産霊(むすび)の神力氣が加わり、丹生霊体帯魂(にゅうれいたいたいこん)となり、この帯魂が生命全ての元の遺伝子となり、これが三つに分けられ、「植物の胞絲(ほし)」「動物の哺絲(ほし)」「人間の哺孖(ほし)」の三つの星孖(ほし)となり、そこに月の神力氣が加わり、六根の同時意発の神根を降ろし生命となります。

 

特に、人間の丹生丹生魂遺伝子(にしょうにゅうこんいでんし)は「正腑(しょうぶ)の腑(ふ)」と「心」をいただき、全ての物事・動植物に通じ合わせることが出来適う「知瑠恵」を授けられました。こうした物事を正しく見定めてゆく霊魂(たましい)でなければ、生命となった時、欲から発してくる知恵に惑わされて、生命界を崩してしまう事を、神は危惧されたのです。

 

太陽が発する芒種のエネルギーは、生命遺伝子が、活動する原動力になり生命が育ち、植物・動物・人間が三位一体となり、活動(はたら)く時にこそ、完全作動するという不動の仕組みであり、全ての生氣物(いきもの)が無病息災で生氣(いき)ていけることが出来るようにお創りになりました。

 

今日の生命界は、経済優先社会となり過ぎて、「正腑の霊魂」を忘れてしまい、自我の欲から発する「知恵」を「叡智」と勘違いし、永遠不滅の生命界の未来を阻害する霊魂が多くなってしまいました。

 

「知瑠恵」の一番大切な「瑠(永遠に照り輝く)」を抜き捨て、人間の欲から発した知恵を凝らして文明を築き、世界は権力欲で渦巻き、生命にとって掛け替えのない地球環境が破壊されつつあります。

 

「正腑の霊魂」が退廃した民族は、少子化となると共に、人心乱れ、いずれ滅びゆく運命となるでしょう。

 

神から与えられた恵を認識し、六根を活性化し、清浄し、同時意発できなければ、真の生命とはなれません。

 

宇宙の大原則は、調和であり、循環です。

 

生命が生産(うま)れるのも、森羅万象全てが調和を保ち発展するのも、「和」の波動が無ければなりません。

 

この人祖の国、日ノ元ツ国、日本に、「和」が無ければ、世界の平和は成り立たないのです。

 

カテゴリー: 言の葉 パーマリンク