【しゅうちゃくは
せまきしやにて
くくること
てばなせぬとき
しやをひろげよ】
【執着は
狭き視野にて
括ること
手放せぬ時
視野を拡げよ】
◉人の魂を貶(おとし)めるのは、心の奥の我欲我執です。
物質や金銭は悪いものではありません。
清い心の人ならば、物質も金銭も、神の意に適った使い方ができ、悪にはならず、逆に霊性高める為の助けとなります。
物質も大切にし、物質を愛し、感謝をすることが出来る人です。
しかし、物質欲のみになり、所有することばかりに囚われ、資源を無駄にし、環境破壊するような物質文明は、やがては滅びます。
我(が)とは自分の独占欲、自分一人がよければよいという、自己中心の現れです。独占するのは我欲の奴隷です。
先ずは自己中心の願望欲望考えを捨てなければなりません。
心身の余裕のある時はまだよいのですが、困難、危機な状況にある時に、他人を優先することの難しさ。
物質、金銭、地位名誉、目先の利益や富ばかり求め、感謝せず、豊かさ優しさ育むことせず、魂の学びもせずに生を終える悲しい世。
物質により魂を磨くことが、この世に生かされることの意味です。
自分の生の意味・霊行の意味を悟れば、執着から離れることに繋がります。
しかし、霊行は簡単なものではありません。
人間一人の力では為し得ないものであり、神に魂と真を捧げ、一体となり、初めて為し得ることができます。
努力精進重ねることで、次第に我も取れて行きます。
多くの人はただ楽しい生であることのみで満足し、霊行あることさえも知らずに生を終えていきます。
中には、自分の霊行・役目を自覚しながら為さぬ人もいます。
自分の霊業・生の意味を知り、ただひたすらに努力精進しているうちに、我執は少しずつ消えていくものです。
外に宇宙を見て、宇宙の命や他の全ての命が、自分の命とは別物であると思っている限り執着は取れません。
心を開放し、空(くう)となり、宇宙と一体となり生きれば、自分の命は宇宙の命に繋がり一つであることに気づき、執着もなくなっていくことでしょう。