念願を成就するには、思いと言葉と行動を一致させ、潜在意識を具現化することです。
この3つが、神の意に沿い、純粋そのものである場合、具現化します。
神道の祝詞に「六根清浄大祓(ろくこんしゃうじゃうのおほはらひ)」がありますが、最後の句に「為所無願而不成就矣(なすところのねがひとしてじゃうじゅせずといふことなし)」と結ばれています。
また、「一切成就祓(いっさいじゃうじゅのはらひ)」には「極(きはめ)て汚(きたなき)も滞無(たまりなけ)れば穢(きたなき)とはあらじ内外(うちと)の玉垣清浄(たまがききよくきよし)と申(まを)す」とありますが、心の中に溜まる罪・穢が無ければ、神人合一となり、一切が成就すると言っています。
神の心をうけることを受霊=誓約(うけひ)と言います。
神気は一切の邪念が無く、純粋な気そのものです。
毎日神棚に向かい、神との受霊=誓約(うけひ)をしますが、相手が人では無く、神であるからこそ、誓約を破ることは許されません。
時間を無駄にすることなく、精進努力怠ることなく、命がけで実践せねばなりません。
この3つが一致していない場合、己の深い領域に存在する調和が乱れることになり、なんらかの形で不調和・歪みが発生します。それは、病気として発現することもあります。
この不調和から周波数が乱れ、同じく乱れた低い周波数のエネルギーを引きつけます。結果、低い波動を放つ人は、低い波動のものを引き寄せます。
人間は生身であるが故に、知らず識らず犯した罪・咎・穢れを毎日清める為に、心身の大祓いをすることが必要です。
全ては元一つ。
周りの事象現象を、己には関係無しと考える人は、神気を受霊することが出来ない人です。神気に満ちた大宇宙に生かされている己は、大宇宙の命の一部でもあるのです。
惟神(かんながら)の道とは、縦の道と横の道が同時に実践されること。
人が神仏と先祖としっかり結ばれ、子々孫々の弥栄を願い、人と人、地域と地域、民族と民族、国と国が調和のある営みをし、共存共栄繁栄の道を歩むことです。