心身の調和

血”や ”氣” とともに、体の働きを支えている三大要素のひとつである”津液(しんえき)”の働きについて。

 

”津液”というのは体を潤したり、活動の後の興奮を鎮めたりする働き。

 

水のようなものみたいなのですが、水を飲んだからと言って そのままそれが津液になるわけではなく、体にとって役にたつように変えられたものです。

 

疲れ過ぎると、この津液に異常が出ますね。

 

過労や過剰な活動が続き疲労がたまると、それを鎮めるために津液が大量に消費されますし、寝不足が続くと津液を作る働きが低下します。

 

氣や津液を取りだす働きをする ”脾” で食べ物から吸収され、一旦  ”肺” に運ばれ、全身に巡り、その後 ”腎” の働きで老廃物と一緒に尿として排泄、そして、もう一度全身に巡るように ”腎” に蓄えられます(=腎陰)。

 

先天的な生命力を蓄える場所の ”腎” で、”腎陰”を体に巡らせるために、この水のように重い ”腎陰” を熱を使って水蒸気のように軽くします。この熱が ”腎陽”。

 

普通の生活をしていれば、津液の消費は普通にまかなえるのですが、過度の活動や睡眠不足で大量消費すると、”腎”に生命の根源として蓄えていた ”腎陰”まで使わなければなりません。

 

老後の年金まで前借りしなければならない状態は避けたいですね。

 

過労は ”陽” の過剰を意味し、その余分な ”陽” を中和するために ”陰” を猛烈に消費します。

 

これに睡眠不足が加わると、 ”陰”を補充することもできないから、”腎陰” から引き出さざるを得なくなります。

 

これを続けていると後で大きなつけがきますね。

 

身体の悲鳴に気づかず、無理を重ね、全く休まないようなタイプの人は要注意。

 

寿命まで身体が耐えきれず、ある日突然パタっと倒れてあの世に行ってしまう可能性が高いです。

 

精神と肉体の調和がとれてこそ、バランスの良い人と言えます。

 

神から与えられた肉体を必要以上に酷使し、管理の仕方も学ぼうともせず、大切にしないのは、神への冒瀆です。

 

人は神に一歩でも近づくことを目指しています。

 

その修行の第一歩は、六根を清浄にすることであり、「六根同時意発」です。

 

眼・耳・鼻・口・身・心、この六根が神と直結し、神の御意思のままに動き働き、毎日の行動に実践現れなければなりません。

 

上杉謙信の家訓は以下です。

 

「心に驕(おご)りなき時は人を敬う、心に邪見なき時は人を畏(おそ)れず、心に怒りなき時は言葉和らかなり、心に孝行ある時は忠節厚し、心に自慢なき時は人の善を知る、心に迷いなき時は人をとがめず」

 

森羅万象は毎日変化しています。私たちが毎日を見直し、聞き直しを心がけながら成長しようと精進努力している姿こそが惟神(かんながら)の道です。

 

そして、全ての命の共存共栄。その理念こそが神の御意思であり、神の道なのです。

 

山

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