つつましさ

我欲による貪りの時代が続いてきました。便利さからも離れられず、我欲は止まらず、人類は自滅の経路を下りながら、螺旋の滑り台を奈落の底に落ちつつあります。

 

その最も大きな原因。それは、心であり、魂。

 

人の欲望には限りが無く、我欲が全ての根本です。

 

人より富を得たい、人よりえらくなりたい、人より強くなりたい、人を支配したいと、欲望は止まらず、神の恵みを奪い合い、闘争、戦争。

 

毎日、何万羽?何十万羽?のブロイラーたちが、生後数ヶ月の生命を無造作に機械に首をはねられて終えて行きます。この地球の大地の暖かさすら足の裏で感じることも無く。野原でハシャギ廻ることも無く。生まれて僅かの生命を終えているのです。それなのに、「私鶏肉きらいなの!」と、食べ残された残飯鶏は生ゴミ箱へ・・・。

 

せめて、そんな生物たちの冥福を祈るくらいの気持ちはありませんか?青い地球の同胞として他の生命の尊厳を省みる気は起きませんか?

 

金、物、時、生命、事、想い・・・何もかもがその尊厳を省みられることなも無く、貪られて消えて行きました。

 

あぜ道にひっそりと咲く小さなお花のように、決して自らの美しさを誇ることもない、「つつましさ」。

 

そんな「つつましさ」が消えました。

 

何事も、一つひとつを丁寧に、存在する事の尊厳を確認し、少しずつわきまえて自らの生命(いのち)の為に頂戴する「つつましさ」を取り戻さないといけません。

 

「便利さ」が我々の神経を狂わす時の「香水」になっています。

 

「つつしみ」を取り戻さない限り、元には戻らないでしょう。

 

我々は「貪りの中毒状態」になっています。次から次へとたくさんの「いのち」を削いで、もう止まる事すら難しくなって来ています。

 

人は生まれて死ぬまでに、

 

どれほどあれば生きられるのでしょうか。

 

貪らず、浪費しなければ、一生使っても余れる程の、恵みを、神は与えて下さってるのですが。

 

無残に荒廃、破壊、再生も危うく、枯渇寸前、絶滅近しです。

 

人類の永年の罪、重いです。

 

しかし、今一部の目覚めた人々がこの緊急事態に気づき、命の全てをかけて、人類救済に全力を尽くしています。

 

一人の力は小さくはありますが、「一は全なり」。

 

一人ひとりの努力が礎となり、必ず地球は甦る!と信じ行動したいです。

 

人が希望を捨て、夢を諦めた時に、全ては止まり、終ります。

 

悟り、心ある人々が、神の願いを叶える為に、最期まで、真(まこと)を捧げることを祈ります。

 

祈りの波長を神に合わせて、それぞれが内なる神を目覚めさせ、神の意を表し、自分一人にこだわることなく、神の御経綸が滞りなく進展することを願いながら、真の感謝で生きること。それのみです。

 

赤い花

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