米の教え(八十八)・四国八十八ケ所の真髄

天武天皇(631〜686)の時代、太元帥明王(生命継承権憲邪)様より受け継がれて来ました日本の大丹生天皇(おにゅうすめらぎ)が完全に封殺され、弘法大師は権力者に楯突くことも出来ず、密教として残すしかなくなりました。

 

大丹生天皇は員弁(いなべ)から四国へ、他の丹生家の人々は松江へと逃れて行かれました。松江に逃れた人々は何度も焼き討ちに遭ってしまいましたが、四国へ逃れた天皇はなんとしてもお護りしなければと、四国の周囲を天照派の丹生家の修験者を巡らせて外的を水際で防ぎ、時の情勢を把握し、水際で食い止めました。

 

こうしてできたのが、「八十八ケ所の霊場」です。

 

以下⓵〜⓾が、【伊勢生成(いせいいなり)の身生(みあ)れの神力氣(しんりき) 十種神鳳(とくさしんぽう)】です。

 

⓵息津(おきつ)   日輪太陽津神(にちりんたいようかいしん)・・・神父の精子プラスの世界

 

⓶湍津(たぎつ)   宇宙迂迦神(うちゅううがしん)・・・神母の卵子マイナスの世界

 

⓷東生(とうう)   天生零迦児神(あうむかごのかみ)・・・遺伝子のプラスとマイナスの括りの世界

 

⓸卯根(うこん)   月暦見満引神(つきよみみちびきのかみ)・・・母の子宮の中   雄しべ雌しべ・雄雌・男女の区分けの世界

 

⓹邊津(へつ)   産土地球神(うぶすなのちきゅうしん)・・・母体から生命誕生  生まれ育まれる世界

 

⓺皇親(すめらかむつ)   神漏樹六根神(かむろぎろくねのかみ)・・・静津を司る植物の総ての親様・雄しべと雌しべ

 

⓻皇親(すめらかむつ)   神漏身六根神(かむろみろっこんのかみ)・・・動津を司る動物の親様・雄雌

 

⓼天照皇大御神(全9柱の神力氣を総監督されています)

 

⓽初代    伊邪那岐人神・・・理津を司る人間の男親様

 

⓾初代   伊邪那身人神・・・理津を司る人間の女親様

 

⓵〜⓼の八柱の神々を「八和幡之大神(やわたのおおかみ)と申します。

 

八十八の「十」は、生命生産出(うみだ)しの天津神・国津神、陰陽です。

 

八和幡之大神は、天津神・国津神の「神祇の地」である伊勢に最初に祀られました。

 

八十八とは、「米」という字になり、東西南北どちらから見ても八神となります。即ち、「天津神・国津神」により、この生命界に最初に御誕生になられた太元帥明王の血統を嗣がれた天皇を、四方から「八和幡之大神」でお護りし、各札所を巡らせて擁護なされました。

 

このように、四国には「大丹生家」が隠されていたのです

 

こうして「八和幡之大神」に御加護を願い、陰ながらお護りする砦(とりで)としての札所が八十八ケ所です。

 

これが、弘法大師の故郷四国の地に遺された八十八ケ所の真髄です。

 

故に、四国には天皇家の「丹紫(にしき)の御旗」(みはた)や太古の神祀り「五社三門(ごしゃさんもん)」や三木家の麻織物も、天皇(すめらぎ)と共に四国へ逃れた方々が、天皇が御即位の大礼の時にお召しになる束帯を織るための麻の栽培を、絶やすことなく護ってこられたのでした。

 

その後、世の情勢も少しずつ変化してゆき、圧力も緩和されて来た為、四国においでになった大丹生天皇は、九州の隼人族(丹生家)の地にお移りになりました。これが島津㊉です。

 

 

古事記に書かれている「海幸彦」と「山幸彦」のお話は、この島津の隼人の確執を表したものです。

 

今、天意の転換により変革が進んでいる時代です。もうどの宗教も統一し、この生命界の大元を全人類が正しく理解し、神の大御意志(おおみこころ)を受け留め、「米の教え(八十八)」を拡げていかなければなりません。

八幡之大神

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