弘法大師(774〜835)は奈良時代末期四国讃岐国にお生まれになり、父は佐伯氏で大和朝廷に従服された、「蝦夷(えみし)」の末裔と言われていますように、「蝦夷」とは、人祖より「天照皇大御神(あまてらすすめらおおみかみ)の大御意志(おおみこころ)をお受けし「生命生産出(うみだ)しの神」をお祀りしてました「丹生家(にゅうけ)」の方々です。
垂仁(すいにん)天皇二十三年、伊勢外宮の造営が中断されると同時に、「伊勢生成(いせいいなり)の神」(全ての生氣物を異性によって生み、生かし育てる神)をお祀りした、三宮(内宮・月読宮・月夜見宮)が放置され、ここに奉納されていた不戦の証(あかし)「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と、天照天皇の「胞衣(えな)」も放置されてしまいました。
このようになってしまったことを垂仁天皇は苦慮され「御自らの不徳の致す処なり。」と思召しになり、丹波の国の貴天原(たかあまはら)の元伊勢の御霊魂にお詫びされる為にご参拝になりました。そして、大江山地方に、皇祖皇大神宮(こうそこうたいじんぐう)を建設され、人祖を始め、神武天皇に位を剥奪された大丹生家(天皇家)・丹生家(分家)の全ての御霊魂をお祀りなさいました。
丹生家の方々は、なんとしてもこの「生命の元の神」と「大丹生家」を後世に残しておかなければと、命掛けで隠し護り抜かれ、「三宝荒神」として、三津に分散させ、以下のようにお祀りされました。
⓵ 息津(おきつ)「日輪太陽津神(にちりんたいようかいしん)」を、高野山の奥に、「立里荒神(たてりこうじん)」として。
⓶ 湍津(たぎつ)「宇宙産迂迦神(うちゅううがしん)」の丹生津(にゅうつ)の神を、大神神社(おおみわじんじゃ)の裏に、「笠山荒神」として。
⓷ 邊津(へつ)「産土之地球神(うぶすなのちきゅうしん)を、宝塚に、「清荒神(きよしこうじん)」として。
太陽の「真光(まひかり)」と「丹(に)」と「芒種(ぼうしゅ)のエネルギー」とが、日輪津(にちりんかい)において、亢進状態に入る神姿を「三宝荒神とお呼び申し上げ、仏教では、「三大虚空蔵菩薩(さんだいこくうぞうぼさつ)」として祀ってきました。
またこの日輪太陽津でのお活動氣(はたらき)になる神を、「天照皇大御神(熱田の神)」と申し上げ、このお祭りを「生産祭(しょうぶまつり)➡︎「正腑祭」と定め置かれました。
弘法大師は、この地球生命界は、全ての生氣物が皆平等である事を、真実の霊言言霊(れいげんことだま)七十六音(南無=なむ)を以って悟りをされ、真言密教(伊勢生成の神)の教えとして伝え遺されたのです。
当時は、権力で人を殺してでも天下を取る時代となっていました。弘法大師は生命の大切さを悟られましたが、伊勢生成の神を表に出す事が出来なかった為、絶対五神力氣を、宇宙曼荼羅として現され、遺されました。
⓵ 日輪太陽(にちりんたいよう)の神力氣。
⓶ 宇宙産迂迦(うちゅううが)の神力氣
⓷ 丹生丹生魂(にしょうにゅうこん)遺伝子の神力氣
⓸ 月暦(つきよみ)の神力氣
⓹ 生産土之地球(うぶすなのちきゅう)の神力氣
⓵〜⓹の五神を祀り、中心に大日如来を以って、本堂を宇宙産曼陀羅で現されたのです。
現在は日輪太陽を中心としていますが、ほかの四体の佛さまの意味がわからなくなっており、現在は人間・お釈迦さまなどの名前が付けて祀られています。
弘法大師は、その後、神力氣により生命と誕生した植物の元生産親(もとうみおや)・動物の元生産親(もとうみおや)・人間の元生産親(もとうみおや)の三大太元帥明王(さんだいげんみょうおう)を、「太元法」を以って、真言密教の教えとされ、遺されました。
また、金剛界曼荼羅(おしべ・おす・おとこ)、胎蔵界曼荼羅(めしべ・めす・女)に現わされ、総ての生氣物を生み生かし育み育てる神力氣である、「伊勢生成(いせいいなり)の神」を今日まで遺され、伝えられています。
※真言密教では胎蔵界と金剛界曼荼羅があり、胎蔵界曼荼羅は宇宙の大日如来の慈悲、金剛界曼陀羅は宇宙の大日如来の智慧を表していると言われています。