今は亡き友が書いた「輪廻の詩(うた)」です。
「いのち」は綺麗な泉の水です。
それは、少しずつ滲(し)みて行くときに、旨く他を生かすように出来ているのです。
ゆっくりと丁寧に、「いのちの水」は滲みて行きます。
けっして、慌てる事も無く、けっして、急ぐ事も無いのです。
他の「いのち」が求めている、度合に合わせて、多くも少なくもなく、ユックリと滲みて行けばよいのです。
「津津滲み(つつしみ)」なのです。
おだやかに、うちては返す、さざ波の、津に滲みいる音が、自然の「こもり唄」のリズムなのです。
岸辺の葦(よし)の細い茎を、傷つける事の無いように、こころ配りのある時の流れなのです。
ともに生命(いのち)のなりたつバランスなのです。
何度も何度も繰り返す。
なだらかな生命の循環なのです。
汚されては、浄められ、また、サラサラと流れ行くのが生命です。
サラサラ、サラサラ、いのちは流る。
「サンサーラ、サンサーラ、サンサーラ・・・」
と、いのちは歌う。
いのちの、この歌声を「輪廻」と云います。
そして、「つつしみ」の繰り返しを、「精進(しょうじん)」と云います。
自然は、けっして必要以上に貪(むさぼ)りません。
自然は「たくましく」、そして「つつましい」のです。
自然は、与えられたものを必ず丁寧に、再び自然に還します。
流れて生かし浄化して、淀みて死して腐らせて、土や大氣に戻します。
はじめと、おわりもキッチリと、綺麗に自然に還します。
束の間のいのちの巡りの味わいを、楽しみながら、厳(おごそ)かに、天と地との大空(たいくう)を何度も何度も、めぐります。
「めぐみ」の使者は姿変え、消え往(ゆ)くまでは「つつましく」。
「おごそか」ならん心持ち、やがて、風雨の計らいで、静かに「空(くう)」に帰ります。
「サンサーラ、サンサーラ、サンサーラ・・・」
あの懐かしき歌声が、光となって大空へ、還って行くのが聴こえます。
白い翼の鳥が舞い、蒼い彼方へ消えて行く。
「サンサーラ、サンサーラ、サンサーラ・・・」
「サンサーラ、サンサーラ、サンサーラ・・・」
輪廻の歌が、聴こえます・・・。