「禰宜(ねぎ)」について。
御存知のように「禰宜」とは神社における神職の職名の一つです。
普通は、上から「宮司」「禰宜」「権禰宜」という順で、「禰宜」は「宮司」を補佐する立場にあります。
「禰宜」という言葉は、「ねぎらう」の語源である「労(ね)ぐの連用形」から来た言葉ですが、「ねぐ」という言葉が目上の人に使われる場合は「祈ぐ」と書かれ、神の心を和ませ加護を願うという、祈りの意味になります。
ここまでの意味はわりと知られていることです。
今日は、その先のもう少し深くを感じてみたいと思います。
雄略天皇22年11月新嘗祭の夜、伊勢神宮の祭祀を司っていた倭姫命さまが受けられた天照皇大御神さま・豊受大神さまからの御託宣を起源とする「六根清浄」の祝詞の中にありますように、「人は則(すなはち)天下(あめがした)の神物(みたまもの)なり」(人は地上に現れたる神の子であり神の分霊である)。
神からみたら、「互いに切磋琢磨し、より素晴らしき人・魂と成るように」と「荒奇幸和(こうきこうわ)の四魂(しこん)を与え、「安らかならん」と、現世(うつしよ)に産み出した我が子です。
「四魂(しこん)」は「紫金(しこん)」です。
仏教で云う処の、如来の出ずる時に現れ給(たもう)た、瑞(ずい)としての「閻浮壇金(えんぶだんごん)」のことです。
「閻浮壇金(えんぶだんごん)」は、仏教の経典中にしばしばみられる、想像上の金の名称で、砂金の中でも最高の物で、やや紫色を帯びた金色をしていると言われています。
人の魂の成り立ちについて、神道の「一霊四魂」という解釈の仕方がありますが、四魂「荒魂(あらみたま)・奇魂(くしみたま)・幸魂(さきみたま)・和魂(にぎみたま)」があり、それらを直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしていて、四魂がうまくバランスが取れまとまっていると「和」に治まります。
神が人に向けて、「なんじ」と呼ぶ時、「四魂」を分け与えた分身です。
この「なんじ」が「爾(なんじ)」です。
爾(なんじ)
内側に書かれている四つの「メ」の字。
これがそれぞれ「荒魂・奇魂・幸魂・和魂」を指します。
「神の子としての爾(なんじ)」が「禰宜(ねぎ)」の「爾(ね)」。
「禰宜(ねぎ)」という職務とは、この四魂の「和」の在り方を「示す」のです。
「爾(なんじ)」、平らかなる天より降(くだ)りたる、安らかなる直霊(なおひ)が、四魂となりて生命を産み殖やして行く。
「爾(なんじ)」は、「神の子」としての、「人」に対する「神の呼び声」なのです。
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神の手伝い望み、己の命を神に捧げるならば、神の経綸、神策成就の為に、動くべし。
人の目覚めを手伝いて、人に説くべし、言葉と心の浄化の大切なるを、この世に生まれし意味を。
心が迷い、悩みを抱え、出口の光がわからぬ者の、出口の先の光となれよ。
人が浄まらざらば、己も浄まらず。人救わざらば、己も救われぬ。
一人の中に全てはあり。
心に汚れ、曇りあらば、神の光は入り難し。
人はまずは、人救う前に、己を正し、神に使わる魂に磨き浄めよ。