この世の全ては、神の慈愛、神の御恵み(みめぐみ)なり。
人は、己の弱さ、非力さ、無能さを自覚し、生かされていることを感謝し生きるが全て。
人は皆、欠けあり、欠点あり。欠点なるは、神の優しき慈愛の表れ。
欠点ある故、人は努力し、謙虚にもなれ、人は成長す。神の与え給うた悟りの機会なり。
苦しき辛き時ほど、祈れよ。己の傍に神を感じよ。
人の神への祈りは、己の我欲や利益やその他諸々の自己中心的な祈りであってはならぬ。
神は、人の純粋で無欲なる願いを受け取り、その者の祈りの中に、努力精進、御魂の姿を読み取り、力を授ける。
邪心で祈れば、神仕組みにて、その者の曇りや汚れや誤りを示し正され、禊により浄め、その者に気づきを与えるなり。
己の祈りが届かぬ時は、自身の行いや心を反省し、詫びて、感謝せよ。
人は弱きもの。
努力もせず、神の意に適わぬ願い祈りを捧げ、神にのみ頼り、目先の現象や事象に目を奪われる。
願い叶わぬ時は、不平不満、思い遂げられぬ因を反省することもなし。
人は己と他を比べるところから邪心が生まれる。
一人ひとりの違いにこだわり、とらわれ、違いを真の姿と誤り、己と他とを分けて見る、迷妄、浅はかさ。
地位、富、境遇、能力、表面的な、目に見える外的な違いのみで比較し、深くを見ず。
その者の心行、体行、霊行にての努力精進は、見通せず。
表面的な違いのみに惑わされることなく、深層部分に意識を向け、周りの者たちから、己に欠けたるものを学びとれ。
何気ない日々の一つひとつが大事なり。単調なる日々の繰り返しこそ大切なる。
神は、一人ひとりの努力を認め、その努力に見合うお役目と霊行を与える。
厳しき修行や苦行は要らぬ。
他と比べることなく、無欲の行いを続けるのみ。
他と比較することなくせば、我欲は自ずと消滅す。
意識低く、我欲多き者は、低き能力。意識高く、我欲少なき魂は、高き能力授けられる。
己の向上祈り、神に誓えよ、己の努力、精進、忍耐を。
神に望まれ、神に求められる魂になれよ。
清き魂には、神の祈りも宿り易く、神は願いをこめて、清き魂を使うなり。
人の命に終わりあれど、人の行に終わりなし。努力も完全はなし。
人は、ただひたすらに、己の行を積み、神のお役に立てるよう、鍛えよ、己の心身、魂を。
人が神に出来ること、そは、神への報恩感謝、神への帰依。祈りと誠を捧げ、己の御魂の浄めを示せよ。