真の強き者は、正義をふりかざすことなく、他の者がいかなる競争を仕掛けてきても、取り合う事なく、内なる良心神に従い、神の基準にて生きることが出来る者。
神の望む正義とは、他の者の浄化、成長、幸せ、増すか否か。神の手伝い、能うか否かのみなる。
真の強き者は、
純粋なる心を持ち、全てを我がこととして、愛で包める者。
全ての命を大切に想い、己が犠牲になろうとも、相手の幸せを願い、行動出来る者。
常に相手の視点や基点で物事をみることができ、相手の状態や状況を察し、相手に求めることなく、温かい心で接し、見護ることが出来る者。
自分が責められても、罵倒されても、相手の幸せをひたすら願い、自分が悪者になるのを承知してでも、神の基準を貫き通せる者。
真の強さとは、
純粋さや、思いやりや、優しさや、愛の深さに比例するということ。
真の強さを持つ者は、光強き者であり、地球や宇宙を光で満たし、全ての流れを良き方向に導ける者。
心の強さを身につけた者のみが、真の優しさや忍耐を示すことが出来、真の豊かさを手に出来るなり。
己の現状に不平不満を抱く者は貧しく、満足している者は豊かである。
他人の誤った言動に不平不満を言うことはやめるがよい。
他の者たちに正直を求めるのならば、まず己が正直であれ。
他の者たちに優しさを求めるのならば、まず己が優しくあれ。
他の者たちを苦悩から解放させたいのならば、まず己をそこから解放するがよい。
他の者たちを幸せにしたいのならば、まずは己が真の幸せを感じられる生き方をせよ。
己自身を変えることが出来るのならば、そなたのまわりのあらゆるものが変わるだろう。
己のまわりの環境は、己の心に抱き続けているものを引き寄せ、外側に現れたに過ぎぬ。
己の心を隠すことは不可能。己が考えていることは、行動として現れ、言葉として現れ、環境として表に現れる。
好きであろうとなかろうと、己がこれまでに考えてきたことの結果として、己に最も相応しい環境を今手にしている。
偶然は一切無し。
己を環境の被害者だと思っている限りは、苦しみを味わうことになろう。
己の中の悪い要素を取り除き、心を成長させるのならば、外の環境もそれに見合った変化をなし、次なる環境に切り替わる。
環境は、己がどんな人間であるのかを示してくれるのみ。
人は、己が望むものでなく、己と同じ種類のもの、己が受け取るに相応しいものを引き寄せる。
多くの者は、外に意識を向け、必死になり、まわりの環境を改善しようとするが、己自身を改善しようとはせず。
己がどんなに良い環境を望んでも、それを手にするに値しない者でいる限り、悪い環境しか手に出来ぬ。
己の心と外の環境の変化は、常に結びついておるもの。
己の周りの者や環境は、己自身を映し出す鏡である。
人は、己の心一つで、己の人生を破壊することも素晴らしいものにすることも可能なり。
どんなに隠そうとも、心の全てが、なんらかの形で、外側の人生の中に必ず姿を現す。
宇宙の法則にて、全ての心が、それと同種のものを引き寄せ、それ以外のものが引き寄せられることは絶対に無し。
清らか、美しく、穏やか、和やか、優しく、思いやりのある心は、幸せを引き寄せるなり。
明るき心を巡らし、この世を照らせ。
神に対峙し、己をさらし、己を委ね、己を捧げよ。
地球平和の近道は、感謝の思いを広げゆくこと。
人類地球の浄化と平和を、
全ての命のさらなる繁栄共存を、願い、祈り、行動せよ。