天皇陛下

天長祭は天皇陛下の御誕生遊ばれた日をお祝いする日です。

この佳(よ)き日には宮中を始め全国の神社で天長祭が斎行されますが、天長とは「天長地球」つまり天地が永遠に変わらないという意味で皇室と国民が共に栄えていくことを祈念する祭典です。国民挙(こぞ)って聖寿の万歳とその時代の大御代(おおみよ)の弥栄(いやさか)を祈り国旗を掲げてお祝いします。

「国民の祝日」、みなさんはなぜこのような日が設けられているか考えたことありますか。

「国民の祝日」は天皇の統合力によって日本国民が誕生したという由来を確認するという意味を含んだ日です。

 「国民の祝日に関する法律」というのがありますが、その第一条に「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てて、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、または記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名付ける。」とあります。 

つまり、1年の内に何回も繰り返し「国民の祝日」を祝うことにより、「わたしたちは同じ日本国民であり、この国はわたしたちの国であり、わたしたちが支えている」ということを国民一人ひとりが自覚するためのものです。 

近代以前のヨーロッパでは国民は国家の担い手ではなく担い手は王や貴族や僧侶で、土地や人民はそれらの人々の財産でした。

日本でも同じく、建国記念日が定められたのは近代国家の建設を目指した変革でした。

明治の初め、旧暦から新暦へ変え、建国記念日も2月11日に定められ「紀元節」と呼ばれることに。「紀元」というのは「暦の始まり」のことで「歴史のはじまり」「日本の始まり」のことです。

2月11日は日本書紀の中で、初代神武天皇が即位した日を新暦に換算したものです。 

国民の祝日がすべて皇室の祭祀・行事と関係づけられている理由は、古来から日本人が持っている天皇意識を母胎とし、尊皇心を高めることで、国民意識を生みだし国をまとめるということです。 

11月3日は明治天皇によって近代日本が建設されたから「文化の 日」です。

英語では、耕すのことを「cultivate」と言いますよね。「文化(culture)」という言葉は、ここから来ています。

辞書で、「文化」の第1の意味は、「権力や刑罰を用いず導き教えること」です。「教育」です。その教育を通し人間が自然に対して働きかける過程で作り出した物質的・精神的所産が文化です。

「教育」とは意識の大地を耕すこと。「耕す」の「耒(すき)」は「大地を耕す耒」です。「井」は「水であり生命が湧き出る井戸」であり「真理・智慧」の泉を顕しています。

「心の荒地を耕し、がれきや汚れを取り除き、潤いを与えること」これを「教育」と言います。

11月23日は収穫を祝い、感謝する新嘗祭が行われるから「勤労感謝の日」。

7月20日の「海の日」は明治天皇が全国を視察してあるかれたのですが、その時函館から横浜に船でいかれ、途中で海が大荒れ。7月20日は無事に上陸された日ということで「海の日」と言われています。 

ですから、ただ「お休みだ!」と喜ぶだけではなく、「国民の祝日」の意味を理解した上で、今一度日本人として生まれ てきた意味をしっかりと考え、今 世の中がこんな状況だからこそ、心をひとつにし、日本が地球再生をするリーダーとしての自覚を持ち、今の自分に何ができるのかをゆっくり考えてみたいですね。

太古の昔、神は人と神を結び、祭政の役割を担う天皇陛下を定めました。

天皇陛下が軸となり、人々の代表となり、神を敬い尊び、日ノ本(ひのもと)の民を始め、世界中の人類をまとめていました。

しかし、いつしか人々は神から離れ、天皇陛下の存在意義も忘れ

去り、人類はバラバラになり、

天皇陛下も真の役割果たせなくなってしまいました。

本来、日本だけの天皇ではなく、世界のスメラミコト(天皇)です。

霊ノ元ツ国(ひのもとつくに)である日本がリードし、世界は元ひとつであることを皆が認識し、それぞれの国の特徴を活かし尊重し、皆が輝き、力を合わせ仲良く暮らしていけるのが望ましいです。

天皇家が滅びれば、日本は滅び、世界も滅びます。

太古の昔の神々の想いや働きを引き継いでいらした歴代の天皇陛下の尽力あってこそ、人の世は保たれてきたことを、我々皆は悟らねばなりません。

社

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