昔、英語教育の現場で生徒と話をしている時、流れで、『地球・この世に光を広げるのよ』という話になったことがあります。
彼女は、『どうしたらいいの?』と頭をかしげていました。
その瞬間、ひとりの少年のことが頭に浮かび、数週間前運転中に出会った少年のことを話しました。
信号のない横断歩道の端っこで手を上げて車が止まってくれるのを待っている少年。
車を止め、彼が通り過ぎるのを待つ。横断歩道を渡り終わると、こちらにクルっと向きを変えて、頭を丁寧に下げてから立ち去りました。大人は止まってくれると信じている素直な心、感謝の心を全身で表現する気持ちのこもった爽やかな挨拶。その少年は数秒で私の心を光で満たしたのよって話しました。
その話を聞いた生徒は目をキラキラさせて感動していました。
光を広げるのは、誰にでもできること、難しいことではないこと、そして、このような光は人を感動させ、見た者、聞いた者を通して、次から次へと広がっていくものだとわかったようでした。
彼女は、この少年とは遠く離れていて何の接触もなかったのに、光は人を通して自分のところまで広がったことを体験しました。彼女は、自分も光となることができると思ってくれたことでしょう。
仏教には、こういう考え方があります。
この宇宙には「帝網」という帝釈天の網が張り巡らされている。その網目にある無数の結び目は、人であり植物であり動物であり、全ての命であり、光り輝いているものです。
その光が強い人もいれば、弱い人もいるでしょう。
そして、何か心が揺さぶられることがあれば、光は弱まるでしょうし、また逆もあることでしょう。
全てが繫がり合って影響し合ってひとつとなり、宇宙を形成しています。
自分ひとりで輝くことなんてあり得ないし、自分ひとりだけが輝いていることが「明るい」とか「輝いている」だとかというのは、真の明るさではないです。
明るさを隣に分け与えてこそ、真の光です。
隣を照らして、その隣の命がまたそのまた隣を照らす。
光の連鎖です。
神の願いは、地球全ての、真(まこと)の平和と、調和であり、宇宙御経綸の進展です。
森羅万象全てを愛し、天地の神々と合一し、ただひたすらに、謹んで大神様に全身全霊で仕え尽くすという御心を大和心(やまとこころ)と言い、その真なる熱い魂を大和魂と言います。
大和魂で、お互いを照らし合い、地球を光の帝網で張り巡らすことができるといいですね。