令和2年2月のご奉仕

2月の阿須賀神社でのご奉仕予定は、

2月2日(日)清掃(午前9時~)、2月3日(月)節分 どんど焼き、

2月6日(木)お燈祭りとなります。

(6日は夜中の神事になり、その後片づけがあるので、終了は真夜中となります)

報告

今回のご奉仕は、2月2日~7日までの長期に渡り行われました。全国から集いご奉仕して下さった皆様に、心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

少し詳しくご報告させていただきます。

2月2日・・・境内の掃除。節分祭・どんど焼きの準備。拝殿のガラスを全部外し洗浄しフィルムを貼る。鈴緒を奉納し、取り付ける。

境内のお掃除は非常に重要と捉えています。

空海の言葉にもあります。『それ境(きょう)は心(しん)に随(したが)いて変ず。心垢(こころけが)るるときは則(すなわ)ち境(きょう)濁(にご)る。心(しん)は境(きょう)を逐(お)いてうつる。境(きょう)閑(しず)かなるときは心(しん)朗(ほが)らかなり。心境(しんきょう)冥会(みょうえ)して、道徳玄存(どうとくげんぞん)す。

環境は(対象)は、心にしたがって変わるものです。心が汚れている時は、環境も濁ります。心は、環境の変化にしたがって動きます。環境が静かである時は、心も清らかになります。心と環境が、無意識のうちに合致すると、宇宙の法則である万物根源の道理と、その働きである徳が存在します。

祝詞を唱えながら掃除する人、神の歌を歌いながら掃除をする人、祈りを捧げながら掃除する人、何も考えず黙々と掃除する人、様々ですが、皆の想いは神に届いています。

今回は、拝殿のガラスも全部外し洗浄し、フイルムも貼りました。崇敬会の代表の方がやって下さったのですが、いつもながら凄い集中力とスピード。ただ速いだけではなく、丁寧で一つひとつに心がこもっている。さすがです! 清らかな心で事を為してくださるので、目に見えない氣という部分でも整います。ピカピカになった窓も神もお喜びです。

 

境内

昨年の法被に続き、今回は鈴緒・おみくじ箱も(崇敬会代表の手作りです)奉納させていただきました。ご寄付にご協力下さいました皆様には心から感謝申し上げます。ありがとうございました!麻でできた鈴緒、とても立派です。

おみくじ

鈴

2月3日…節分祭・どんど焼きの準備。どんど焼きの場のお清めをし、午後13時点火~20時まで続きました。次から次へと途切れることなく参拝の方がいらして、ゆっくり休憩する間もないくらいの状態で大忙しでした。護摩木・お守り・お札コーナー担当、甘酒担当、どんど焼きの火の担当、それぞれに分かれてのお仕事でしたが、地元の方々と市外県外からお手伝いにいらした方々とが、共に手を取り合い力を合わせて、事に取り組む姿はやはり美しい。

神社は神と人、人と人との交流の場で、日本人は神社にいる時は、心穏やか安らぎます。祭りも、神との縁を繋ぎたいとか交流したいという無意識の心の表れです。日本は大和の国で、和の精神を重んじる民族です。心を一つにして力を合わせ、神事に取り組むのは、正に和の心そのもの。人々が手を取り合い、和を為し、輪を拡げ、祖先から受け継がれている素晴らしい和の伝統・財産を絶やすことなく、守っていかなければなりません。次の世にも繋いで、人の心の支えとなります。大和の国の素晴らしさ、大和心を、神社を通して、人は気づくといいですよね。大和心の素晴らしさを悟れば、この世から争いなど消え去ります。

甘酒

ポスター

お守り

法被

月4日~5日・・・どんど焼きであちこちに散らばった灰を取り去る境内のお掃除と社務所の押入れなどの大掃除をさせていただきました。

物の興廃は必ず人によります。物事が盛んになるか?それとも滅びるか?は、必ずそれに関わっている人によります。人が伸びるか萎縮するかは、”道にあり”。その人がどう学んだのか、そして学んだことを、自分の人生にどのように活かし、反映させているのか?道の最終地点に立つ事が大事ではなく、そこに至るまでの努力や積み重ねが大事。その努力や根気が、その人の徳・優しさ・逞しさ・個性となります。大海は沢山の流れが注がれて、広く深くなり、高い山は塵が積もり積もって高くなります。何事も同じですが、阿須賀神社のことも、コツコツと一生懸命にやり続けることで、素晴らしい状態になっていきます。そして、関わらせていただく我々も、同時に、魂を光輝かすことができる機会をいただいています。

梅

2月6日・・・御燈祭。男性の祭りなので、お手伝いも男性しか前面に出る事は許されず、女性は裏方に徹します。甘酒をふうるまうのも男性です。県外からも男性がかけつけてくださり、地元の男性と力を合わせて、事を為して下さいました。

崇敬会からも代表の男性が、上り子として神事に参加し大役を務めて下さいました。役が決まってから様々な方向からの準備、禊ぎ、心身を万全に整え、当日を最高の状態にするため、毎日白い食にしていました。いつも神に真剣に向き合っているので、関東に在住なのですが、数週間前に神倉山に正式にご挨拶にいかれ、当日も午前中に神倉山に一人で登り、再度正式にご挨拶に行かれました。

白装束に身を包み、腰に荒縄を巻き付けた姿は、とても凛々しく美しかったです。荒縄を5巻きするそうですが、5という数字は、火の数字です。天から地への縦を表す数字。あの日は、風も強く寒さ厳しく、本当に辛かったと思いますが、怪我もなく無事にご神事終えることができて本当によかったです。崇敬会代表、そして日ノ本代表として立派に お役目を果たされた彼に感謝です。この彼が言ってました。松明に『神人合一と神火心灯』と書いたそうです。『神の火を心に灯す。火への感謝を忘れないように。』ということでした。素敵な言葉ですね。

神倉山に登る前に、阿須賀神社➡熊野速玉大社➡妙心寺と三ヶ所詣りをするのですが、今回の御燈祭参加人数は1768人だったそうで、いつもより少なかったとはいえ、ものすごい人でした。甘酒コーナーもフル回転。洗っても洗っても湯のみが来て洗い続ける。

そして、同じく阿須賀の宮司様も大役を務めて下さり感謝です。神職代表として、神倉山を他の神職の方々と最後に降り、先に阿須賀に走り戻ってきて、後から到着する神職の方々をお迎えするのです。我々も火を焚いてお迎えしました。

お手伝いとしてですので、ほんの一部しか見ていないし感じとれてはいませんが、それでもたくさんのことを感じさせていただき、たくさんの事を学ばせていただきました。

火祭りを経験させていただいて、熊野の地の役割について深く考えさせられましたし、様々な想いが浮かびました。出雲大社の火祭りや神倉山での火祭りご神事も浮かぶことの一つです。

「火継ぎ」は「霊威」の継承を意味し、「火」を継ぐことは「霊(ひ)」を継ぐこと。火を表す文字である、「烈火」と呼ばれる漢字の下の部分にある四つの点は(灬)、「炎」が簡略化されてこの形になったもの、火が脚になる時の形で、「烈・烹・煮・焦・燃・然・熟,熊・点・焦・照」などがあります。「然」は、「犬・肉・火」を意味し、捧げ物としての動物の肉を火で焼く意味から、「もやす」の意味になったと言われています。

「熊」に「火」が関係するのは何故なのか

いろいろな説があるようですが、火の精と考えられていたことに由来すると言う説も。クマの油はとてもよく燃えるから、ということも関係するみたいです。クマは古来から食用とされてきました。冬に収入源が激減する北に住む人たちにとっては、クマを捕獲するのは、生きていく為に必要です。特に「熊の胆」などは万能薬ということで高値で取引されたそうです。クマの肉の脂肪分は融点が低く、旨味も強いそうです。そういった特徴が「燃えやすい」ということに繋がるのかもです。

「熊」は「火が鮮やかに光る様子」を表していたところから、動物の「くま」の意味にも用いられるようになったようです。中国では、「熊熊」という熟語は、「光の明るさが盛んで、輝き合う素晴らしい様子」を賛美した気持ちを表しているそうです。

「奥・隈」も「くま」と読みますが、「奥」の字は、「宀(室のこと)と、采(たいまつのこと)と、廾(両手のこと)」から成り、「たいまつを両手でかかげて、奥深いところにいること」を意味しているそうです。

熊野は、古代より火を伴うお祭りをする地として崇められてきました。文明の進化と共に、我々が失ってきてしまった大切なこと、我々を生かしてくださる自然の豊かさや力を、昔に戻って見つめ直してみることが必要です。

「火」は「日」であり「霊(ひ)」でもあります。「人」は「霊人(ひと)・霊止(ひと)」とも書きます。火を起こすには、その日の天候・風向き・湿度・温度の状況や木の状態・火口の作り具合により、火の起こり方は違うはずですが、一番影響を与えるのは、起こす人の精神の状態だと思います。神聖な「火・霊(ひ)」の重要性を教え示すのが、熊野の地の役割の一つなのかもしれないですね。

お燈祭り

お燈祭り2

2月7日・・・お昼まで境内のお掃除。上り子さんたち同士が互いに「たのむで!」と言いつつ松明を打ちつけ合うので、松明の先についている「削り花」が散乱します。御燈祭終わってからも、夜中にお掃除したのですが、次の日、さらに丁寧にお掃除しました。ピカピカの状態にし、神さまにご挨拶し全て終了となり、阿須賀をあとにしました。

遠い地から足を運びご奉仕に参加して下さった皆様、祈りという形で応援して下さった皆様、誠にありがとうございました。深く深く感謝申し上げます。

光

宮司笛

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