日本人は、太古の昔から神と共に生きし民族なり。
祭りは、年齢、肩書き、職業の垣根を超え、地域の結束力を増し、地域社会の秩序を維持する神との交流なり。
人々は、祭りの間、心ひとつになり、踊り、神輿を担ぎ、神に祈りを捧げ、心清らか和になりて、宇宙と響き合う。
なれど、今の時代、本来の祭りができぬ土地、人々の都合で日時を変える土地もある。
祭りの日時は神宿りし、その数字には意味込められたる。
故に、安易に変えるは許されぬことなり。
神の御意図こめられ、代々受け継がれ、心一つになれる祭りは、和の心そのもの。
和の伝統と和の財産を絶やすことなかれ。
和することの素晴らしさを悟り、光の輪を拡げることを神は願う。
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全ての命を育み、昼夜の循環を司る太陽は、毎日東から昇り西に沈むことから、東は命の誕生や再生、西は死の方位と認識され、太古の日本は東西を軸に生きていました。
しかし、そこに南北の軸と中心という観念の陰陽五行思想が入ってくることになりました。
太陽を中心として、東西を軸としていた日本人にとって、この新しい観念である南北軸は、日本の祭祀にも大きな影響を与えました。
天の中央に位置し、太陽より重要な神がいて、その神は全ての星の神。その神を古代中国では「太一(たいいつ)」と呼びます。
その位置こそ、南北軸の北を司る「北極星」です。
そして、その神を運び循環させるのが北斗七星だと考えられてました。
北の反対側には、南斗六星があります。北極星と北斗・南斗を結ぶ南北軸は、天を支配し全ての命を循環させ、とても神聖なものと認識され、だからこそ、地を守る天皇がこの思想を取り込んだのです。
もちろん、伊勢神宮でも神事の中にこの思想が取り込まれています。
例えば、神嘗祭。
旧暦の9月16日の子(ね)の刻(24時)に、神々に大御饌(おおみけ)が捧げられ、17日の午(うま)の刻(12時)には、玉串奉奠と奉幣の儀式が行われますが、子(ね)と午(うま)の刻というのは、五行で言うと「水」と「火」を示し、方位では「真北」と「真南」を示します。つまり南北軸です。
9月16日と17日の子(ね)の刻には、北斗の剣先が「北=子」を指し、17日の午(うま)の刻には、剣先が「南=午」の方位を指しているそうです。
ということは、神嘗祭の日時は、北斗によって南北軸が結ばれる時に合わせて決められているということです。
神宮の祭祀で最も重要とされている祭りのひとつは、「三節祭」と呼ばれており、神嘗祭・旧暦の6月と12月の月次祭。
この6月と12月の祭りの時刻なのですが、北斗の剣先が真西と真東を指すそうです。三節祭は、北斗が東西と南北を描く時刻を設定しているということです。
祭りは、昔から日時と方位をしっかりと考えた上で、宇宙の永遠なる循環と大調和、そして地球の恒久平和を祈念し感謝を捧げる神事です。
ですから、この日時を変えてしまうと、本来の意味から離れてしまうことになります。
現在、このようなことを知らずに、土日のが人がたくさん来てくださるからという理由で、人の都合で簡単に日時を変えてしまう神社がたくさんあるのは残念なことです。
古い教えを守り伝え、神と共に生きることが出来たらいいですね。