生きていくのには、悲しみや苦しみが 幾度となく訪れることでしょう。
でも、それは 現実から取り除くことが出来ないものでもあります。
助けて欲しいなら、誰かに手を差し出してください。
差し出された手は、必ず誰かの手と繋がります。
繋がった相手も、その思いを感じ、必要な経験となるのです。
この世は、楽しいことも、嬉しいことも、一瞬で 悲しみや苦しみに変わったりもするでしょう。
それは、一つ一つに区切りが必要だからです。
心を一度、無にすることが必要なのです。
どんなに、頑張っても認めて貰えないと思うのは、自らも認めていないからです。
人はあなたを見ていても、感じていても、それを伝えてはくれないものです。
でも、人の言葉には、あなたを一人の人間として向き合い、良いところと悪いところも理解し、認めているのが、出ているのです。
人の心というものは、言葉で繕うことも出来ます。
でも、全てが嘘ではないということ。
心は、通じるものです。
誰かの為にとした事や、誰かの為にと思う言葉も、心の通うことが出来る大きな力なのです。
人と人との縁を大切にしてください。
どんなに出会う回数が多くても、心を通い合わさなければ、無縁となってしまうのです。
縁をいかす。
縁を繋ぐ。
縁を喜ぶ。
人との出会いを大切に思うならば、小さな出会いも自らの行動で繋いでください。
縁がある人とは、必ず繋がります。
自らの行動が、大きな喜びとなる出会いを作るのです。
縁は偶然の良きタイミングにあり、縁は引き寄せているものなのです。
人との出会いだけでなく、自分にとって必要なものの出会いも大切にし、生きている喜びに加えてください。
あなたの前世での繋がり、魂の繋がりもあるんですよ。
縁がこれからの自分の幸せとなるのです。
縁に気づくこと。
縁をつかむこと。
人との繋がりを楽しいものとしてください。
きっと、あなたと仲良くなりたいと思う人たちと出会い、繋がっていきますよ。
もしかすると、心傷つく出会いもあるでしょう。
悲しみや悔しさ、腹立たしさの感情を抑えきれないほどの出会いもあるでしょう。
でも、それは 相手も同じような感情を抱いているものです。
出会いから繋がりが出来ても、お互いを思いやる心や相手の思いも感じなさいという、大事な教えなのです。
何故、あんな事を言うのだろう、
何故、あんな態度をするのだろう、
そう思うならば、自分が相手に対して、言った言葉や態度を思い出してみる事です。
相手に傷つけられた、腹立たしさを感じた時は、自分も相手を傷つけ、相手を怒らせている場合もあるのですよ。
全てが、相手のせいではないということ。
全てが、自分のせいではないということ。
縁を大切に繋いでいくのには、相手を受け入れる心が、必要なのです。
どんな縁も、あなたが望む縁でもあるのです。
縁あれば、今の悲しみも苦しみも、やがて 心穏やかになり、喜びや嬉しさ、楽しさに変わってゆくことでしょう。
心は、縁でも変わるのですよ。
観音菩薩
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菩薩の代表は観自在菩薩(観音菩薩)。
この尊格の起源ははっきりしていないようですが、紀元三、四世紀には現在の形となったようです。
「般若心経」は「観自在菩薩・・・」と始まりますが、この「観自在」(アヴァローキテーシュヴァラ)という名称がインド・ネパール・チベットでは一般的であるみたいですけど、インドの古い写本に「観音」(アヴァローキタスヴァラ)と書かれているものもあり、この種の写本が中国にもたらされて、「観音」と訳されたと考えられているそうです。