『音の大切さを忘れてはならぬ』
音の乱れは、心の乱れより発す。
心乱れて人乱れ、人乱れて国乱れ、国乱れて地球乱れ、地球乱れて宇宙乱れる。
大宇宙の曼荼羅である文字の音図表は、天地の玄理に基づき生成された神聖なる図表で、宇宙の極微の光が結合した言霊は、命であり光そのものである。
命あるもの、事を動かす力有り。
名は全ての始まりであり、万物はその霊(タマ)の通りの性質・特性を持ち、森羅万象 言霊の響きに応じて生成化育する。
発する音に命が宿り、事を動かす力があるのなら、その音は乱れてはならぬ。
心の乱れが音乱し、人の乱れ産み出し、家、国、地球、宇宙をも乱し、全ての調和を乱す。
発する音(言霊)を純粋にするべく、心の乱れを正すことが必要なり。
宇宙、地球、国、家、人の乱れを正すには、まずは己の発する音からすべし。
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『磯城島(しきしま)の倭の国は事霊(ことだま)の幸(さき)はふ国ぞま幸(さき)くありこそ』(by 柿本人麿)
この歌で、『言霊』が『事霊』と表記されていることに注目したい。
古代においては、「事」と「言」の区別は薄く、「言」はそのまま「事」であり、言葉を発すれば必ず実現すると信じられていました。
これを言事即融(げんじそくゆう)の観念と言います。
古代では、「言」=「事」=「神」であり、言霊を発するものの心や息(呼吸)、天地を繋ぐエネルギー、森羅万象の音や響き、全て一体化していました。
従って、言葉は我々の意思を超越し、作用し、我々が統御しうる存在ではなく、逆に言葉によって、我々が統御されるというのが事実のようです。
「古事記」の中に、「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と書かれています。
その「なりませる」とは、その時にそこに生じたという意味だけではなく、「鳴りませる」であり、大宇宙に鳴り響く言霊の神そのものであり、天之御中主神とは天之御名霊主神です。
また、天之御中主神の「主」という語は、そのまま言霊の75声を統(す)べる音「ス」を微言(びげん)するもので、すべてを一つに統合帰一する音です。
すべてのものは言葉から生じ、この言葉、即ち神こそが、森羅万象を生成化育なさしめ、宇宙の万物を生じせしめた根源です。
人の心は50個の言霊によって構成されていて、この50個の言霊を理想的に運用することにより、人間の最高の精神構造にまで達することができると言われています。
大和言葉は、宇宙の理(ことわり)と太古の人々の純粋なる心性(神性・真性)が感応し、発現したものであり、その言語も、言語法則も自然の原理(玄理)に符号せるもので、一音毎に神格があり、神性具備するものです。
それ故、言葉となり現れ、言霊として響き渡るは、惟神(かんながら)の道そのものであります。
音の乱れを正し、小宇宙である己を清浄にすることは、美しき宇宙を創ることにほかなりません。
音(言霊)即命であり、真理である。