神の心を現わし、言葉を現わす為の、舞あり、歌あり、詩あり、絵画あり。
神の意を受け、それを音に、言葉に、物質に、現わし伝えたるが、芸術なり。
真の芸術、魂清め、高める、神の現れ。
その清まる波動を感じとれる者のみが、真の価値を受けとらん。
肉体、五感のみ、心地よくする波動低き物は、芸術ならぬ、単なる技術。
波動低き者は、波動低き物に引き寄せられ、必ず波動低き物を選ぶ。
真の芸術に触れ、神のご意図を読み取りて、全ての事象に神を観て、宇宙原理に到達せん。
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アメノウズメは、天岩戸開きの際、神懸かり、俳優(わざおぎ)<舞>によって天照大神を誘い出した神として知られており、これによって鎮魂・神楽を掌握する猿女(さるめ)の遠祖とされていますが、この『俳優(わざおぎ)』について。
『俳優(わざおぎ)』 とは、『<ワザ(業)ヲキ(招)」が原義>。
神意をうかがい寄せるために、神前で種々の芸をすること」(by 岩波古語辞典)です。
そして、『神楽(かぐら)』 の語源は、『神座(かみくら)』です。
「かみくら、かんぐら、かぐらト転ジタル語、神座遊(カミクラアソビ)ノ略ニテ、神座ノ音楽ノ意ナルベシ」(by 大言海)と説かれています。
つまり、神座(かみくら)とは、神の降臨する場で、神を迎える場所のことで、ここでの遊び(歌舞)であるから「神遊び」であり、「神楽」となります。
「カミクラ(神座)の約。クラは神おろしをする所。この舞楽に使う榊や篠(ささ)などに神が降下するので、その榊・篠・杖(つえ)・弓などをカミクラと称したのが、後にこの舞楽全体の名となった」(by 岩波古語辞典)と説明されます。
神楽は、宮中に伝承されている御神楽(みかぐら)と民間に伝承されている里神楽(さとかぐら)に大きく別けられています。
民間神楽は、伊勢流神楽・出雲流神楽・巫女神楽・獅子神楽の四種に分類され、日本全国に様々な形で伝承されています。
奥三河の湯立て神楽、出雲地方の神楽能、高千穂の夜神楽などあります。
これらの視点から見ると、神楽というのは、神に奉納するという単なる神事芸能というものではなく、神が舞う人の中に現れ、これを拝見する人々に生きる力を与え祝福し、神人合一の場であると言えるのではないでしょうか。