御存知のように、玉串とは神事において神職や参拝者が神前に捧げる紙垂(しで)がつけられた榊の枝のことです。
ひふみ神示の中に、以下のように書かれています。
「玉串、神に供へるのは衣供えることぞ。衣とは神の衣のことぞ。神の衣とは人の肉体のことぞ。巨民をささげることぞ。自分をささげることぞ。この道理分かりたか。人に仕へるときも同じことぞ。人を神として仕へねばならんぞ。神として仕へると神となるのざから、もてなしの物出すときは、祓ひ清めて神に仕へると同様にして呉れよ・・・」
榊は栄樹(さかき)でもあります。
植物を代表する樹で、植物の元生産親(もとうみおや)「皇親(すめらかむつ)」神漏樹六根神(かむろぎろくねのかみ)の御姿で、静界を司る雄蕊・雌蕊の胞絲(ほし)として、御降臨・御降誕されました。
玉串奉奠(ほうてん)の作法は、この榊を植えて置く事を現わして、動物・植物・人間を生かす樹木を絶やしてはならない伝えであり、樹木への感謝も表しています。
寺院などで星祭りが行われていますが、この星とは遺伝子を表し、植物の胞絲(ほし)・動物の哺孖(ほし)人間の哺孖(ほし)であり、この地球に降ろされた三津(みっつ)の生命遺伝子により、生命界が弥栄(いやさか)であるよう祈り、生命(いのち)を戴いたことへの感謝を捧げるお祭りです。
この動植物一体の元理大自然が、食物連鎖の仕組みであり、悠久不変の弥栄への調和が神の叡智であり、神が永遠の弥栄への倫理(みち)を、神の子である人類に託し御誓約(うけひ)をされました。
従って、我々人類が、この神の叡智に徹し切る事が出来る時、この邊津(へつ)《=地球》に、どれほどの生成(いなり)の身人間が満ち溢れようとも、困ることないだけの恵みが集められているのが、この邊津です。
生えて生やす、生まれて生む「伊勢生成(いせいいなり)の基督(きとく)の神力氣(りんりき)の仕組理(しくみことわり)の中に、雄蕊と雌蕊、雄と雌、男と女のいずれかに生まれるは、すべてが生命(いのち)の思召しに依るもので、男女(めおと)が慈しみ合いながら生命を後の世に継承する為の生命で、その天授を貫き通す中に生き物の志合わ(しあわせ)せがあるのです。
三津(みっつ)の「ほし」が「一津(つ)一体の神仕組みの生命帯魂」の中にあることを肝に銘じ、肚におさめ、御霊を浄め、磨き、光を発し続けたいものです。
人の魂、一つひとつが、地球の進化を進める力となります。全ての命がこの世で働き、神の願いを実現できますように。