相対尺度にとどまるな

神の願い、真(まこと)の望みは、人類全ての救済、人の心の成長向上、御魂の波動の高まりなり。

 

愚痴、不平不満は、神への冒涜、傲慢さの表れなり。

 

いついかなる時も、謙虚な感謝の心で生きる御魂は、いかなるときにも不平を漏らさず。

 

憎しみ、嫉妬、執着 、こだわり、怒り、卑下、劣等感、他人を罵る心、負の感情は調和を乱すなり。

 

されど勘違いするなかれ。

 

人は陰陽調和で成り立つもの。

 

これらの負の感情、人間にとって必要なるものでもあるということ。

 

負の感情なくして、正の感情にはなれぬなり。

 

不自由な生活になりてはじめて、家あること、水飲めること、食糧あることに、真に感謝できるもの。

 

病気になってはじめて、健康のありがたさが身にしみるもの。

 

人は不幸あってはじめて、幸せかみしめるもの。

 

負の感情にさいなまれし時、その経験を得た事に感謝し、その負の感情を反省し、光に転じて前に進めよ。

 

人は負の感情あってこそ努力できるものなり。

 

負の感情に負け、その感情を増幅させ、周りにも響かせることなきよう、己も努力せよ。

 

人は皆、善と悪の心を持つなれど、真の悪は善を生かすものであり、光なり。

 

悪には悪の働きあり、善のみならば、人は悪の働き、意味わからず。

 

人は悪の働きによりて、善の輝き、有難さを知り、善を尊ぶ。

 

善のみならば、迷いも苦しみも無く、努力も進歩も無く、何もうまれず、魂磨かれず。

 

人の善悪を判断するものさしは皆異なり、それぞれの感じ方次第の身勝手なもの。

 

人と己の善悪同じと勘違いするなかれ。

 

人は皆、悪備わり生まれ、善悪は紙の表裏と同じ故、善悪を分けるは意味なし、囚われるなかれ。

 

神の次元にては、二つは同じ、区別なし。

 

今の世情、光伴わぬ悪の波動広がりて、人を不安にさせ、心悲しくなる事件も多し。

 

物事必ず二つの極あり。

 

中庸の状態保てば、片方の視点だけにとらわれず、別の景色が見えるなり。

 

別の景色見えるなれば、己も他人も赦すことできようぞ。

 

中庸とは、右でも左でもない、真ん中という意味でなし。

 

一切の執着から離れ、物事の本質を見極め、ありのままに捉えることぞ。

 

中庸であってこそ、正しき判断、選択、決断できるなり。

 

中庸の精神で、己の邪心 悪心気づきて、素直に認め、反省することが、全ての循環の滞りをなくし、正しき流れにすることに繋がりゆく。

 

宇宙万物、全ての事象は調和へと向かうのが自然の流れ。

 

そが宇宙の意思であり、宇宙法則なり。

 

地球規模、宇宙規模なる大立て直し。

 

全ての毒排出され、浄化され、元ある姿に戻され、調和に向かうこの時に、命を与えられたる意味を真摯に受け止め、魂美しき中庸の状態となり、己の真の姿を悟るがよい。

 

神の恵みを賜りたくば、迷い、執着、囚われ、心の曇り、汚れを取り除けよ。

 

神の恵みは、偽りの無き、純粋、無垢なる御魂に与えられん。

 

人には天命、宿命、運命あり。

 

縁より生じ、縁に滅す。

 

因があり、縁起に触れて、結果現れ、報いある。

 

己の運命、何故こんなに不運なのか。

 

家相のせい、人のせい、霊のせい、名前のせい、己の内を見つめることなく、努力もせず、己の外の存在に責任転嫁する者多し。

 

幸運を引き寄せるは、神仏でもなし、まじないでもなし、お守りでもなし、術でもなし。

 

己の内なる光が運命を好転さす。

 

心の迷情解き放ち、我執捨て去り、神に捧げよ、真(まこと)と魂。

 

神国、日本の民は神手伝いて、世界の人々を救うべき民なり。

 

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神の世界には、善悪は無く、全てが事実であるというだけで、善悪を分ける基準さえもありません。

 

人の基準は相対尺度ですが、神の基準は絶対であり、比べる対象も尺度もありません。

 

この世では、相対尺度の方が学びやすいのでしょうが、人の世界の相対尺度にとらわれて生きていれば、いつまで経っても、進歩進化はありません。

 

また、奇跡も人知の尺度です。人知の能力や限界を超えて、神の真理や法則に沿うもので、自然の理(ことわり)で、何の不可能、不思議もありません。

 

人の基準も大切にしながら、相対尺度に頼らない、そして、人知を超える神知、神の意識と基準で生きれば、絶対真理という、悟りに到達します。

 

ひまわり

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