【わがたまと
まことをささげ
かむながら
みなうちすてて
つかへまつらむ】
【我が魂と
真を捧げ
惟神
みな打ち捨てて
仕へ奉らむ】
◉神が人へ与えるものは何一つ無駄もなく不足も無し。
その恵みに感謝し存分に使い果たし、与えられた能力を発揮し、命の果てる最後まで、命を輝かせこの世での役目を残さず果たすことを神は願っています。
惟神(かむながら)とは、宇宙の原理原則法則に沿い共存共栄、森羅万象と調和し、己を禊ぎ、浄め、神の道を志して努力精進することです。
まずは、我執を無くし、
自分の愚かさ、小ささを自覚し、全てを神の視点で捉え直すことからです。
惟神なる生き方は一つではありません。
それぞれの霊性、徳性、理性、感性、知性を磨き鍛え、神性まで高めること。
それには努力、忍耐、精進が必要です。
時には遠回りするかもしれません。
無駄だと思うこともあるかもしれませんが、努力、忍耐、精進が人を鍛え強くなるのです。
道を極めるのは簡単ではありません。
神が人に求めるのは、神への感謝と絶対帰依です。
神が望むことは、一人でも多くの祈りが高まり、その高き波動がこの世に満ちて広がることです。
そして、命や恵みを賜ることに感謝し、宇宙の意、神の経綸を、この世に顕すことです。
神の真の手伝いを望む者は、我(が)を取ることです。
今なし得る行いは、己の力でもなく能力でも無し。全てが神からの賜りものであるということを自覚することが大事です。
神の加護を己の力だと勘違いし、驕り、傲慢になれば、当然ながら魔に使われ、道を過ちます。
己を戒め、慎み、我欲を無くし、禊ぎ、鍛え、今与えられている業に励むことです。
神は経綸進展の為に、人を使い事を起こし動かします。
己の意志で動き努力し、神のご意図に適うよう働き、己の魂と真(まこと)を捧げ尽くす生き方、そして命尽きる時、己の役目を成し遂げあの世に還ることが出来るのが、真の惟神の道です。