「知食(しろしめ)す」という言葉から、「ス」という言霊の働きについて考えてみたいと思います。
「フトノリト」の中に「天日豊本豊葦原(あめのひのものととよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国を安国(やすくに)と平(たいら)けく知食(しろしめ)せと事依志奉(ことよさしまつ)り志国(しくに)の中(うち)に・・・」とあります。
この「知食(しろしめ)す」というのは、万系一世の天津日嗣(あまつひつぎ)天皇が天の下四(あめのしたよも)の国を安国と平けく統治遊ばすことですが、言霊学上から、霊返しの法から見れば、『知らす・知食(しろしめ)す・知る・住む・澄む・進む・覚る・栄ゆる・・・』などは全て『ス』と成ります。
『ス』は、『主であり、統一であり、素であり、寿でもあります』。
そして、言霊秘伝書にも『中に集まる言霊・真中真心也(マナカナリ)・八極を統御居る也(ヤマヲスベヲルナリ)・数之限り住む也・本末(モトスエ)を一徹(ヒトツ)に貫(ツラヌ)く也(ナリ)・玉也・結座也・八咫(ヤアタ)に伸極(ノビキ)る也・垣無く無為也(スミキルナリ)・呼吸共に顕るる声也(デルイキハクイキトモニアラハルルコエナリ)・出入息也・結柱・安々色也・自由自在也・素之儘也(ソノママナリ)・至大天球之内外悉くをかし保ちて極乎たり(アマツミオヤノカミナリ)・霊魂球をひたす也(ミタマヲヒタスナリ)・有之極也・声之極也(コエノモトナリ)・外を総(ス)ぶる義』と書かれています。
「澄む・澄ます」というのは、神の威力によりこの宇宙万物一切を清浄ならしめる言葉なのです。
同じ音霊を持つ「住む(スム)」も同じ意味を持つのですが、今の世を見渡すと、全く違う状況になってしまっています。出口王仁三郎氏も以下のような言葉でメッセージを発しています。
『住む』の活用は万民悉(ことごと)く神君の大慈の下に養はれ、至誠至直にして神を敬い皇室を尊び国家の恩に報い奉り、私心私欲の念なし、霊体共に水晶の如(ごと)く透明潔白に社会に生存し、人生の本務を各自が全うするの意である。現代人の如く私利私欲の外敬神尊皇愛国(けいしんそんのうあいこく)の念慮薄くし修羅の巷にさまよふ如きは「住むに非ずして濁り居るのである」、要するに霊主体従(ひのもと)の生活者は所謂(いはゆる)住むと云(い)ふ資格を有すれども、体主霊従(たいしゅれいじゅう)の生活を為すものは濁り居ると称すべきものであります。
※霊主体従…人間を霊と体に分けた場合、主体となるのが霊で、体は霊に従うという考え方。体主霊従は、その反対。