人の「心と心」「内世界と外世界」「自己と他者」との「融和結合」について。
無量義経(むりょうぎきょう)「徳行品(とっこうほん)」の中に、「智慧深く衆生(しゅじょう)の根(こん)に入りたまえり」とあります。
「根」は、土中に在り、見えざる処です。樹木は、「根(こん)、茎(きょう)、《幹(かん)》、枝(し)、葉(よう)、華(け)、果(か)、光(こう)、色(しき)」により、我々と関わっています。
例えば、リンゴを探す時、まず、リンゴの赤色を探しますね。その赤色は「光」により、目に入ってきます。その赤い果実の側に、華があり、葉から光と二酸化炭素を摂取し、水は根から茎を通じて枝を経て運ばれます。
これらを下の方から見て行くと、「根(こん)、茎(きょう)、《幹(かん)》、枝(し)、葉(よう)、華(け)、果(か)、光(こう)、色(しき)」になります。
八段階の道筋を経て、リンゴの存在が我々の「眼」に入ってきます。「根」が無いと「茎」はありません。「茎」が無いと「枝」はありません。以下同様に、「葉、華、果、光、色」も、結びついています。
この一番根本にあるのが「根」です。人間の場合であれば「顔色」が最終の「現れ」になります。
が、これは貴方の目の前の相手の「心象世界と身体状態」で決まるわけです。つまり、その方の、色合い・純度・在り方・状態などが表に現れるわけです。
この「心象世界」の「色合い」は、魂の在り方で、発する光が決まります。
「光の珠」の光り具合は、その人の曇り、汚れ、執着、こだわり、我欲などがあれば、当然光は弱いです。
心象世界と身体状態は、「虚々実々」、「虚」と「実」相まみえています。「虚像」も「実像」も混ざっているのです。
「心象世界」の「虚像・実像」はそれなりに、「明白で、鮮やかな印象をもち、華やかな彩りを添えた」存在観に基づいています。「優しい人」という印象は「優しさ」の彩りを持っています。
しかし、何の印象もつかめない場合は、どうにも「仕様(しよう)」がない、つまり、「枝葉(しよう)」がないのです。
枝葉がなく、相手の正体がつかみにくい時は、「根幹(こんかん)」を見つめ直すのです。
つまり、「枝」「葉」から、「幹」や「根」へと下がって行くのです。地中深くに在る「根」まで掘り下げて行くのです。相手の見えざる「根」の世界にまで、想いをはせて行く時、真実の「実像」が浮かび上がってくるのです。
自分に対して不躾な応対をした、相手の「事情」や「心象世界」がハッキリ浮かび出て来るのです。
目の前の相手の根(魂)まで、想いをはせ、真を観じることができる人は、優しく接することが出来るでしょう。
「智慧深く衆生(しゅじょう)の根(こん)に入りたまえり」と「如来の慈悲」から出る「智慧と生命の水」は「衆生の根」に滲み入るのです。
何事も、表面のみを見ることなく、心の眼をもち、「根」の部分まで深くを観ることが大切です。
人も物事も、「根」の深さまで見るようにし、もし人の根に暗きが見えるのならば、草木に注ぐ太陽の如、大地に染みこむ慈愛の如、言葉を以って、祈りを以って、温かさを以って、相手に光を注げるといいですね。