言葉を浄める

今の時代、速さ便利さが重視される風潮があり、手抜き、簡略化、合理化、省略化の弊害に気づかず、本来の在り方から大きく離れてしまっていることが多々あります。

 

漢字の母国である中国でも、漢字が省略され簡略化されています。その流れが日本にも容赦なくやってきています。省略文化になっていますが、それは大変危険なことなのです。

 

「経済」とは「経世済民(けいせいさいみん)」。

 

つまり「世を治(おさ)め、民(たみ)を済(すく)う」の「世」と「民」が省略された言葉です。

 

「世を治め」とは、「水」を「治める」こと、「治水(ちすい)のことです。

 

中国では黄河(こうが)や揚子江(ようすこう)などの大河の氾濫を治めるのがまず大事業でしたから、「治水」のことです。

 

「治水」とは、堤防やダムを築いたり、運河を造ったり、「きちんと水の流れ道をつける」事により達成されます。

 

水や智慧や教えなど大切なものの「通り道、流れ道」が「經(経)」や「莖(茎)」や「徑(径)」ですから、「経」が「治める」にあてられます。

 

そして「済」は「救済」の意味ですが、「そこそこ、まあまあで済(す)む」という意味に近いです。

 

程々の救い方が「済(さい)」です。

 

人々の心が彷徨い乱れてくると「民を治め、世を済う」に変わってきます。

 

つまり、「経世済民(けいせいさいみん)=世を治め、民を済う」から「経民済世(けいみんさいせい)=民を治め、世を済う)」へと変わってくるのです。

 

「経済」と省略して使っているうちに、「経(きょう)」を「済(す)ます」という雰囲気が人々の無意識層に浸透していき、いつのまにか、本来の意味とすり替わってきてしまいます。

 

何気なく「省略語」を使っているうちに、本来の言葉の意味もわからなくなり、その言葉により響く言霊も、真のものから遠ざかります。

 

人の思いが低ければ、その人の発する言葉は曇り、汚れ、淀み、思いの低さを更に深めます。

 

発する言葉一つにも、些細な行いや態度にも、その人の心の全てが現れます。

 

なんでも省略、分からぬ言葉を作り出し、過った用い方をし、音も響きも形も乱れ、言葉を汚し毒となっているのが現状です。

 

言葉は神そのものであり、音一つにも魂があり、文字一つにも心があります。

 

言葉の意味を大切にし、すべての汚れを浄めるよう、

 

身口意に魂込めて、一人ひとりが、思い、語り、行動しなければなりません。

 

一は全。一人が全て。一が大切、重要です。

 

人の思いと行いの、一つひとつが積み重なれば、世は浄まります。

 

鳥居

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