禊(みそぎ)

「禊」の語源は、身を滌(すす)ぐ「身滌(みす)ぎ」から来ていると言われています。

 

明治時代の古神道家のお一人に川面凡児(かわつらぼんじ)という方がいらっしゃいますが、現在も神社本庁に属する神社神職は、この川面式の禊業法を励行しているようです。

 

川面氏にとっての禊とは・・・

 

「禊と霊注(ひそそ)ぎなり、水を注ぐが如(ごと)く神の霊を我の霊に注ぎ入るるのである。『そぎ』は剃(そ)ぎにて、剃ぎ削るなり。祓い残りあるところの尤 (とが)と罪とを、なお停滞あるところの垢(あか)と穢(けが)れとを、神の霊にて剃ぎ去り、削り去ることを意味するのである。」(by 日本古典真義)

 

人は様々な事に関して「信念」をもって生きていますが、信念は自分のもの。

 

しかし、信念を超えた先にあるのが「真念」。

 

「信念」と「真念」は異なります。神に全てを委ね任せきったのが「真念」。

 

真の惟神(かんながら)の道とは、祓い、清め、禊ぎきった状態で、神の意に沿いながら、己の意志を尊び、最善努力を尽くし、真念を貫き通すこと。

 

成功の確かな保証なくとも、どんな結果になろうとも、すべての責も負う覚悟にて、地道に努力することです。

 

人それぞれに備えられた、知性、理性、感性、徳性、霊性を磨き、宇宙、自然万物、すべての人類と一体なる生き方が出来るといいですね。

 

滝

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