いろは祝詞とひふみ祝詞

天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、天地開闢(てんちかいびゃく)と共に生じた「名」。

「名」は創造なり。

「名=言霊」が凝り固まる、「名る」。

それは「成る」こと。

そして、「生る」であり、「鳴る」。

「形(なり)」でもあり、「業(なり)」でもある。

「な」の一音は、創造・名称・生成・音声・形態・行為の全てを表象。

言霊で「な」というのは 「押止る霊」、「押し留定むる也」、「押鎮まる也」 、「万を兼ね結ぶ也」。

混沌たる無限定の状態を限定して、一定の形に凝固させる力を持つなり。

「名り・成り・鳴り・生り・形・業」。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

名前は数を文字に置き換えたものです。

宇宙のありとあらゆるものは、数によって構成されています。

神道でも「古来我が国の数と言とは、密接不離の関係におかれており、数の裏には言が、言の裏には必ず数が隠されてある」と言われています。

古神道の「天津金木(あまつかなぎ)においても、言霊だけではなく、数霊も重要だと捉えています。

天津金木というのは、宇宙の秘機をうかがい、天地を動かす術法ですが、これを使えば、天地開闢のあり様から生成化育する宇宙の進展の様相・宇宙に働く根本玄理・森羅万象、わからぬことはないと言われています。

「数」というのを辞書で調べると「運命」「定め」と書かれています。

人間の一生も生年月日に始まり、数によって支配されています。

名前も数で波動が決まり、いつもそう呼ばれることで自己形成していきます。

名前の通りの人になり、名前の通りの人生を歩んでいくということ。

もちろん一人で生きているわけではないので、他者の運命波動や環境波動とも感応して自己形成します。

そのように考えると、自分がどのように呼ばれているのかとか、人をどう呼ぶのかというのは大変重要なことであると思います。そのような人間になっていくわけですから。

だからこそ、人の名を呼ぶ時は、愛と心をこめて、あたたかな気持ちで呼んであげたいですね。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「いろは」と「ひふみ」は、それぞれ、言霊と数霊、天の神からの祈りと地の人からの祈り、表と裏、にあたる祝詞です。

この世の浄化を進め、人の魂の浄めを進め、人の神化(進化)をなす為に、神から与えられた祝詞です。

「ひふみ祝詞」の「ひふみ(一二三)」は、数霊であり、宇宙創世、森羅万象全ての命が産み出され、人類誕生から神化し、神のご経綸が滞りなく進展するようにとの、人の願いが込められています。

神へと伝える、呪力の強い音霊、言霊、霊力なので、本来、唱える前に、厳しい修行や行を積んで、浄められた者が、許され唱えるものです。ですから、日々、身と心を浄めるように努め、澄んだ声で一音一音を心こめて、感謝の思いで唱えてください。

「いろは」も「ひふみ」も神世の言葉ですので、意味はわからずとも、音のみにても、祈りは届きます。

意味より、音の力が大切です。

「いろは祝詞」の「いろは」というのは、神の御名(みな)、神の命そのものです。

言霊の根本で、神の世界をこの世に映そうとの、神の祈りと願いが顕われたものです。

この世が産まれて滅びるまでの、神仕組みを説くもので、この世の永遠の繁栄、平和、豊かさ、人の進歩、向上、幸せを願う、神の祈りがこめられています。

 

神の祈りを魂で受けとり、神の御経綸を進展させるために、忠誠、真(まこと)を神に誓い、己を捧げ、それを示す祝詞です。

神聖な祝詞ですので、むやみに唱え、汚し、粗末にすることのないように、気をつけなければいけませんが、人はこの祝詞を唱えることにより、共振共鳴し、神と人との結びつきを強くしますので、そのお役のある方は、唱えていただけますよう、お願い申し上げます。

彷徨える御魂を導く時も、死にゆく御魂にも、「いろは」の祈りを唱えてください。

真理(神理)の響きは、御魂に届き、御魂は満ち足り、安らぎ、穏やか、救われ、成仏し、あの世に迷わず、還れます。

この世を光の波動に戻すには、言葉の浄めが必要です。言霊の力は、神そのものです。

祝詞を唱えるにあたり、最も大切なことは、人の心の清浄さ。素直な誠の心です。己の心の宮に、神の社(やしろ)を立て、無心無欲に、純粋に祈ること。

安らかに、平らかに、ゆるやかに、穏やかに、澄んだ聖なる声にて、神と相和し響かせてください。

金剛界曼荼羅
金剛界曼荼羅
胎蔵界曼荼羅
胎蔵界曼荼羅
カテゴリー: 言の葉 パーマリンク