本来、人の魂は思いやりの心を持つ、素直で、優しき魂なり。
神から与えられし知力、体力、能力、特質、才能を活かし、神のお役に立つ事望み、謙虚に素直に生きるなれば、この世は栄えき。
人の力は全て小さく、もろく、はかなきもの。
なれど、神の威力が加わりし時、人の能力、努力をはるかに越えしこと起こるなり。
人の煩悩苦悩の始めは、己の我欲と我執なり。他と比べるところに苦しみ生まれ、自他ともに心を傷めし。
我欲もなく、迷いもなく、悩みもなく、疑いもなく、わだかまりもなく、ためらいもなく、全てを神に委ね預ければ、何の苦しみ悲しみうまれようか。うまれしは、感謝、喜び、感動、安らぎのみ。
不平、不満、不幸の原因を、己の外に責任転嫁するなかれ。
一切の執着持たず、我を張ることなく、素直であれば、ぶつかり合うことないとわかっていても、素直になることできぬが、人の感情の難しきところ。
己の我の強さこそ、不幸を招くこと悟れよ。
神にも素直に。
人にも素直に。
己にも素直に。
何事にも執着せず、心身共に緩め、素直に生きるは、最高の幸せなり。
人との出会いも、己の魂磨く修行と、謙虚に素直に受け止めればよし。
出会う相手は己の鏡。己の良き面も映し出すなれど、己の欠けと曇りも相手に表れ、己に警告、 戒めるなり。
己の波長に合う御魂ならば、自ずと引き合い、結び合わん。波長合わぬ御魂ならば、自ずと離れて、再び出会うこともなし。
魂引き合い、縁結ぶは、神の仕組みは働かず、神は一切介入せず、ただの自然の摂理なり。
なれど、神の経綸進展遂行の為、神が介入、仕組むこともあり。
神仕組みし縁か、ただの自然の摂理による縁かをあれこれ考え勘ぐるは、人には区別不可能なれば、くだらぬことに心使わず、迷いを捨てるも、これ修行なり。
神の御意図を気にしすぎ、解釈、意味づけ、あれこれ頭で考える、己の愚かな思い込みは、我執、囚われとなり、心の曇りとなる。
全ては神のみ手に素直に委ねよ。
宇宙の全てが、互いに補い合い、高め合うのが本来の姿。
伸と縮が補い合って血液は送られ、吸うと吐くが補い合って呼吸を為す。
雄しべと雌しべ、雄と雌、男と女、親と子、老は若を補い、皆互いに助け合い、均衡とりて、調和を保つ。
地球の自然は全てのため。
全てが互いを支え合い、助けあわずは、滅びる理(ことわり)。
何も望まぬ、素直な心は、恐れも悩みも迷いもない故、清く流れて、澱みなし。
ただ目の前の課されし務めを、手を抜くことなく、怠ることなく、平常心にて続けゆくのみ。
神との交信交流に、学問要らず。知識も、科学も、医学も、そを妨げ、乱すのみ。
神から与えられた原初の素直な魂、それのみでよし。
曇りを祓い、今この世で最も難き、無心無欲の境地を作れよ。
神との交信交流、全ての人類に可能な始めの能力、恵みなり。
無邪気に笑い、無邪気に喜び、無邪気に楽しむ、子供のような素直な心に帰れよ。