「い」とは「命也(いのちなり)」
「い」を着ることが「生きる」。
「い」をギュッと絞めることが「いじめる」。
「い」を貸す事が、「生かす」。
「い」を削がれるから「急ぐ」。
「魔」を絞めだすことが「戒める」。
「い」とは、私たちを生かす根源にある、「命の素」です。
「い」が身体の中に入ると「血」になる(「ち」は母音の i を含む)。
「ち」は、千、霊という意味もあります。神から創造された、地球、宇宙、生命エネルギーそのものです。
「いい」は御飯のこと。
空気・磁気・氣・地など、私たちを生かす要素「い」を含んだ存在を示す言葉には「い」の音があります。
「い」という音は、自分の命の要素そのものを現しています。
「祈る」とは、「斎(イ)」と「宣(ノリ)・告(ノリ)・法(ノリ)」の複合語だとも解釈されてます(by 日本語源大辞典)。
「斎」は「神聖なるもの」、「宣・告・法」は「みだりに口に出すべきでない言葉を口にだす」という意味。
つまり、「神聖なことばを告(ノ)ることが「祈る」の原義。
究極の真の祈りとは、「行為・言葉・想い」全てにおいて、浄まった「意・命」を乗せること。
呼吸にも、自分の発する氣にも全てにおいて。
究極の祈りに少しでも近づけるように努力し続けたいです。
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御魂浄めることの始めは、言葉に始まり、言葉に終わる。
神社は祈りの場であり、誓いの場でもある。
祝詞は人類全ての繁栄発展、宇宙調和の為に、神に捧げる、人の祈りの根幹なり。
人の純粋無垢なる言霊、誠の祈りを通して、そこに鎮座される御神霊も、人から新たな力を得るなり。
なれば、一音一音、清き言霊を発せよ。
御神霊は威を増し、その光は人へと返りて、御魂を浄めん。
人は、知性、理性、感性を神から賜る。そは、この世をより良く生きる為の、神からの恵なり。
なれど、人は現世のみを生きるにあらず、魂は永遠の命を生きるもの。
霊性とは、人が生まれ落ちた時の素直な無の心の状態、神性、仏性、人の本性なり。
宇宙創生、次元も超えて、命の繋がり記憶を辿る、宇宙の神秘の源、神の与えし恵なり。
霊性を高めるということは、毎日の穢れを祓い清めて、神の御心に立ち返る努力をすることであり、己の心を神に近づけることなり。
さらに、霊性進化には、己の内なる二元性の融合進み、強き推進力を持つ能動的な男性性と、優しく柔らかな愛を持つ受容的な女性性との調和が必要なり。
本来、人の御魂の奥底に、調和融合に向かう力、無限の叡智が備わりし。
人の霊性にて、真(まこと)の命を生きて、未来の命に継ぐのが、人の務め、人間神化への道なり。