今この世の浄化の時。
個人の毒出し、地球の毒出し、様々な現象起こるなり。
苦しきこと多々あろうが、苦しきは己一人にあらず。
我が身ばかりが苦しく辛きと思うなかれ。
被災や病の苦しみ痛みは、本人にしか真の辛さはわからぬだろうが、他者の苦しみ痛みを、己の苦しみ痛みと感じ、心を配れる人となれよ。
自然の働きこそ神そのものであり、自然の営みにて、全ては循環し、命は生かされる。
人は一人では生きられぬ。
自然の営みの循環の中で、神仏、先祖、他者の助けを受けてこそ命保たれる。
太陽に感謝し、月や星に感謝し、己を支える全てに感謝を捧げることが己の浄化になり、この世の浄化に繋がらん。
宇宙の根源、命の源に人は皆つながりて、人の全ては宇宙と一体。
全ては一なり、一は全てなり。人皆、一人ひとりが罪をあがなう心を持てよ。
人の犯せし罪科(つみとが)は、一人の罪ならず、一人に罪を着すなかれ。
己の罪を詫び、過去に積みし人類の罪を詫び、心の奥より改心すべし。
人を責める心は神から遠し。人を赦さぬという心こそが、邪神そのもの、地獄ならん。
事象現象の中に、己の光と闇を見よ。
よくよく戒め、己を貶むることなかれ。
人が浄まらぬのならば、己も浄まらず。
人が救われぬのならば、己も救われず。
人の御魂に神を見れぬが、不平不満の素。
己も相手も、元一(もといつ)なる。
相手の中に神を見る時、何を無礼なことができようか
汚なき言葉を吐くことができようか。
己を大切に出来ずも同じことなり。
己を信じること大切に出来ぬは、神を信じぬこと大切に出来ぬこと同然、信仰心無きに等しき。
他を赦せぬという心も、神を赦せぬという心と同じ、傲慢さの表れなり。
人の迷い、惑いは、全て人知の愚かな我欲なり。
迷いも不安も、全ては無駄の人間心。
全力尽くし、全てを神に委ねなば、何もわずらうこと無し、不安無し。
人は、天の御意思(みこころ)に目覚めるまでは、迷うもの。
真理(神理)に目覚めるなれば、迷いはなくなる。
目に見え耳に聞こゆる表面のみに振り回されることなく、不動の精神養えよ。
事象現象、奥に秘め隠れたる、真の教えを見通せよ、神の御意図を読み取れよ。
人の多くは、神の御意図に反して、欲にまみれ、道を踏み外し生く。
神の教えも光も届かず、救いもなせず。
神から離れ、彷徨う御霊を救い、神に結べよ。
御魂の奥底の宇宙意識を目覚まして、清き言葉の祈りの波動にて、曇りと穢れを祓い、禊ぎて、御魂を浄めよ。
人は、己の魂を映す、心の鏡を磨き、命の光を眩しく輝かせよ。