絶対世界なるが真理なり

己の善悪の基準は人の善悪の基準とは同じに非ず。

 

人には厳しく、己の悪には寛容になりがちで、結果、争いに発展す。

 

己の基準は身勝手なものでないかと己に問い、己の基準を人に押し付けることなく、己の悪に目を向けるべし。

 

己の未熟さ悟りて、寛容、謙虚になれば、相手を責めることなく、争いにはならず。

 

負の感情湧き出づるも、人間の自然な姿。

 

なれど、その感情をいかに抑えるかは己の修行のひとつ。

 

他人を己の基準のみにて測ることなく、全てを包む大和の心で接すれば、穏やかなる人間関係築かれ、良き光拡がりて、世は平和へと導かれん。

 

人の基準なるは、相手が被害を感じ、不愉快に感じるのならば、全て悪となり、相手が喜び感じ、感謝するのならば、全て善となる。

 

相手によかれと思いて行動せしも、相手に取りて迷惑不愉快ならば、そは悪と捉えられし。

 

この世の善悪は、相手の基準により、移ろい変わり、己の基準は関係無しの、虚しきもの。

 

神の世界には善悪無し。ただ事実があるのみにて、善悪の基準も無し。

 

善悪二つは裏表一体、二つを分けるは意味無し。次元を上げて、神の基準で見れば、不二なり、区別無し。

 

なれど、人の基準と決まりも大切なる。

 

人への迷惑、妨害、不愉快は、全て悪なり、許されず。

 

神の世界の基準は、相対ならず、絶対なり。

 

比べる対象・尺度無し故、光を認識するに闇は要らず、愛を認識するに憎悪は要らず。

 

神の意に適うか否か、それのみなり。

 

相対世界にとらわれ生きるは、いつまで経ちても、進歩進化無し。

 

相対尺度に頼らぬ神の意識と基準で生きるのならば、絶対真理を悟り得ん。

 

神の世界は絶対世界、可能が有るのみ、不可能は無し。

 

この世は神の世界の写し、想念の世界なり。想念は現実に起こり、必ず現象化する。

 

物質世界に惑わされず、想念世界に目覚めることが、御魂の成長促さん。

 

想念世界の波動の力によりて、物質世界を変えることが出来ることを悟れよ。

 

絶対世界なるが真理なり。

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