右手は仏、左手私。
掌合わせ、仏とひとつとなる作法、合掌。
右手はあなた、左手私。
敬意と温かな心表す人との挨拶、同じく合掌。
心の中に境界作り合掌なくば、妬み・嫉妬・怒り・憎しみ・負の感情が生まれるなり。
空しきことよ、理(ことわり)をしらず。
六根意発、静かに合掌、全身全霊、神仏の言葉(心)を受け止めよ。
南無の心で神仏の清浄なる光をいただき、己を調え、還源(げんげん)するが合掌なり。
南無(なむ)とは、霊験言霊(れいげんことだま)七十六音、大調和の神ひかりなり。
一切のものは言葉から生じ、言葉、即ち神こそが、森羅万象を生成化育(せいせいかいく)なさしめ、宇宙万物を生じせしめた根源なり。
大和言葉は、宇宙の理と太古の人々の純粋なる心性が感応し、発言したるもの。
言霊は、天地に充ち満ちる真言(みこと)であり、命(みこと)なり。
一音毎に神性具備し、言の葉となって現れるや普遍の道の表象となる。
この生命界は、施し合いの大連鎖、循環の神仕組みが根幹となる。
己のすべてを神仏に委ねる合掌で、天上界と生命界とが一津一帯であること悟り、南無の詞(ことば)で和志合い和みゆく。
言霊発すれば、合掌せる両掌に言霊の響き波動は伝わるなり。一声毎に、その響きは異なれり。
人は神の分け御魂、御魂の曇りを取り去れば、直ちに神そのものの実相を示現(しげん)する。
合掌にて、宇宙の仕組みも、自然の則も、神仏の心も観得し、神仏と一体となり、日々修行に勤しみ励めば、自ずから如意自在の生活になるなり。