愛知県渥美半島にある神御衣御料所(かんみそごりょうしょ)は、伊勢神宮、明治神宮、橿原神宮、砥鹿神社へ、毎年絹糸を奉献します。
7月の奉献式当日、その日に売られる全ての『赤福もち』の箱の中に『伊勢だより』というメッセージが入ります。毎年メッセージは変わるのですが、ある年のメッセージは以下のようなものでした。
『毎年7月初旬、対岸の愛知県田原市(旧渥美町)から「お糸船(おいとぶね)」と呼ばれる一隻の船が伊勢湾を渡ってきます。神宮に奉献する絹糸を積み、奉献団の方々が乗った船です。そうです、年に二度、春秋に衣がえをなさる神様のために絹糸をつむぐのは、遠い昔から渥美をはじめ東三河の人々のならわしでした。これを受けて神宮は、機殿(はたどの)で和妙(にぎたえ)に織って神前に捧げるのです。
さて、今年も今日4日お糸さんが奉献に来られます。』 (by 赤福十一代目 店主)
神の衣服を神御衣(かんみそ)と言います。そして、この神御衣の素材を荒妙(あらたえ)、和妙(にぎたえ)と言います。
荒妙と言うのは『麻』。和妙と言うのは『絹』。
神々さまの衣・食・住である、『食は毎日』『衣はシーズンごと』『住は20年ごと』 。
和妙になる『赤引糸(アカヒキノイト)』とは「清浄な絹糸」という意味です。神宮に奉献される絹糸にのみ、この語を使うことになっています。
三河の赤引糸を神宮へ奉献する行事は、約1300年前、天武天皇の御代に始まったと伝えられています。
人祖であるイザナギ様とイザナミ様は、天の意和戸(あまのいわど)において、「御難賛助の御誓約(ごなんさんじょのうけい)」をされました。
御難賛助の御誓約というのは、人間が争いをしたのでは神筋が立たず、あくまでもお互いよく話し合ってともに賛助し合い、この生命界の弥栄の為に生きる誓いです。
この誓いをされて、天界と地上とを結ぶ「約束の帯」につたい御降臨。
この約束に基づき、成人された暁に、この「約束の帯」を束帯に替えて身にまとい、改めて「御難賛助の御誓約」の更新をされる「大嘗神祇祭(だいじょうしんぎさい)」に、大丹生家(おにゅうけ)の天皇として着帯になる束帯と、大丹生家の皇后として着帯になる十二単(生命界十三次元を織り込む)を、員弁の麻生田麻生(おうだあそ)の地で完成させました。
この神聖な天界と地上とを結ぶ、長い反物を身にまとう日本の着物文化の原点がここにありました。
イザナギ様とイザナミ様が産まれくる子供達に、神との約束事をどのように伝えゆくのかを、神から問われた時、
「生命産み出しの絶対五神の基督(きとく)のご神理氣を旗印の中に織り込み、嗣子孫々(ししそんそん)に至るまで伝えてゆくと同時に八和幡之大神(やわたのおおかみ)をお祀りして、神の大御意志(おおみごころ)に添って生きるよう伝えます」とお誓いになりました。
そして、成人の暁には、この「丹紫の御旗(にしきのみはた)」を代々渡す事を約束され、生命界の弥栄の為に神様との契約をかわしました。
丹紫の御旗は
日輪太陽界神(にちりんたいようかいしん)
宇宙産迂迦神(うちゅううがしん)
産土之地球神(うぶすなのちきゅうしん)
天生零迦児神(あうむかごのかみ)
月暦見満引神(つきよみみちびきのかみ)
その総監である天照皇大御神(あまてらすすめらおおみかみ)
そして、
皇親(すめらかむつ)神漏樹六根神(かむろぎろくねのかみ)
皇親(すめらかむつ)神漏身六根神(かむろみろっこんのかみ)
の八津の氣を合祀され旗に織り込んでいます。
人祖家の御旗の写真に「八幡大菩薩」と書かれているのは、この旗が作り変えられた時が、平安時代初期の仏教全盛期だったことから、「菩薩」となっており、元は「八和幡之大神」です。
太古の神と人祖の約束は、四国徳島県三好郡にある阿佐家で、丹紫の御旗という形で今日まで守られ遺されました。
天皇が一代毎になさる大嘗神祇祭は、本来、神との不戦の契約の更新ですが、天皇家が人祖家である為、神が延々と続けさせています。
大嘗祭(天皇即位後初めて新穀を供えて収穫を祝い、今後の豊作を祈願する宮中の儀式で、天皇一代に一度だけ行う)の為の新米を作る田である斎田は、東の「由基(悠紀)殿」と西の「主基殿」があり、それぞれ1ヶ所ずつ選ばれますが、これらは、天津神と国津神の御殿のことです。
「岡崎市と香川県綾川町は、大正天皇即位の大嘗祭で、悠紀斎田と主基斎田に選定されました。2019年、令和の大嘗祭にも新米を奉献しました。」
このように、「決して争いはしない」ことを、人祖が神と約束され、それを子孫に伝え、永遠の弥栄を守り通すことを誓ったことを我々人類皆が悟らなければなりません。