澄静の水

心がとても穏やかになり、澄んだ状態になれる言葉を。

『自らの心に迷うがゆえに六道の波鼓動し、心原をさとるがゆえに一大の水澄静(みずちょうじょう)なり。澄静の水、影、万像(まんぞう)を落とし、一心の仏、諸法(しょほう)を鑑知(かんち)す。 』(by  弘法大師)

人は、自らの心に迷うが故に、あらゆる迷いの世界(六道)の波は揺れ動き静まることはありません。

心の本源を悟るのならば、心の広大な水は澄んで静まります。

澄み静まった水が森羅万象の姿を鏡のように映すように、仏(心の本源)は、あらゆる存在の真の在り方をよく知っており、真なる姿を映し出します。

自らの心の動揺・迷いがこの世界を濁らせ光を弱くしています。

私たちの心模様がそのままこの世を創っているのですから、澄み切った心 穏やかな気持ちで生きることができるようにしたいものです。

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どんなものにも、どんな事にも、人の愛というものがあります。

それを見つけ、光を与えるべし。

楽しみの中にも、悲しみの中にも、苦しみの中にも、

必ず、喜びとなるものあり。

神のような愛を持ち、神のように耐え、神のように気づかせ、神のように共に喜び、共に涙する。

辛いこともあろう、痛みもあろう。

だが、それなくして 喜びは味わえぬもの。

心を尽くすとは、心を込めることなり。

難しいこと程、実った時は 喜び大きい。

神と共に喜べること、その感覚を忘れず、その感覚に感謝し、その感謝を神や支えてくれる者たちに伝えてゆくべし。

これからの世、人それぞれが気づく事が大事。

人それぞれが、思いと行いに心を込める事が大事。

人を導くとは、全てを教えるのではなく、気づくきっかけを与えることなり。

そこから学ぶのは、人それぞれ。

気づくのが早いもの、全くわからぬもの、学びとして心得るもの、人それぞれ。

どんな違いがあろうとも、

それぞれの理解する時があるべし。

そなたも共に学ぶことあるべし。

そなたもそれに気づく事が出来るよう、心を込めて 人とあいなり。

そなたの行い、これからも見ておる。

この世に生まれたことを喜び、楽しむべし。

どんな事も、神々の力添えあり。

神の力と合わせ、この日本を、この日本の人々を支え、助けるべし。

池

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