人を観る時は その人の心で観る
花を観る時は その花の心で観る
木を観る時は その木の心で観る
草を観る時は その草の心で観る
生き物を観る時はその生き物の心で観る
物を観る時は その物の心で観る
自身他身が全くの同じということではなく、異なった存在がそれぞれの心となり、お互いを尊重しお互いの在り方を観る。
自身と他身は別ではなく、同一であることを観じ、その命の響きを感じ取る。命の響きを感じるのは、痛くもあり、悲しくもあり、辛くもあり、嬉しくもあり、全てが混じりあってて涙が流れることでしょう。
その人の心が純粋であればあるほど心は痛むことでしょう。その痛みは神仏が感じている悲しみや痛みでもあります。
体や心を痛める激しい修行ではなく、ただ、全ての存在の命の響きを感じようとする、ただ、全ての存在に対して優しくなる。ただそれだけ。それだけで神仏に近づくことができ、通じ合え一体となれるのです。
中庸の状態を保ちながら、どこまでも純粋に、どこまでも優しく、どこまでも愛深くなれるといいですね。