清浄

六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間に具わった六根を清らかにすることです。

六根・・・五感プラス第六感である意識の根幹。

眼根(視覚)・耳根(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌根(味覚)・身根(触角)・意根(意識)。

 

『六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。そのため執着を断ち、魂を清らかな状態にすることを言う。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)』(by ウィキペディア)

俗世との接触を絶つことで不浄なものを見ないというのはひとつの修行法ではありますが、本当の修行は俗世とかかわりながら いかにこの六根を清らかにすることができるかです。

神界の六根が降ろされて、宇宙産迂迦霊命界(うちゅううがのれいめいかい)で霊命の六根が作られ地球に降ろされて、ここ生命としての六根をそのまま清らかに受け継いでいかなければいけなかったのでしょうが、ご覧の通り乱れに乱れしまいました。今こそ元の六根に立ち還る時。

『眼』・・・目に諸(もろもろ)の不浄(けがれ)を見て  心に諸の不浄を見ず

『耳』・・・耳に諸の不浄を聞いて             心に諸の不浄を聞かず

『鼻』・・・鼻に諸の不浄を嗅ぎて             心に諸の不浄を嗅がず

『口』・・・口に諸の不浄を言ひて             心に諸の不浄を言わず

『身』・・・身に諸の不浄を觸(ふ)れて          心に諸の不浄を觸れず

『意』・・・意(こころ)に諸の不浄を思いて        心に諸の不浄を想わず

 

どんな状況にあろうが常にこの六根を清浄に保つことが大事です。

六根清浄の祝詞というのがありますが

六根(ろっこん・むね)=目・耳・鼻・口・身・意を清浄にすれば、五臓すなわち肺臓・心臓・肝臓・腎臓・脾臓が健康で一切の氣枯(けが)れもなく、御神霊が身体に入ることになり、肉体を通し天意を表すことになります。

それは神羅万象全てと一体となることであり、神羅万象と一体となれば天地の神と同根になることであり、それ故に万物の霊と同体であり、万物の霊と同体なるが故に為すところ一切成就する、という非常に素晴らしい祝詞です。

知らず識らずの間に犯した罪・咎・穢れも、身を清めるこの六根清浄の祝詞を唱える修法で、心身スッキリすることができます。

この宇宙にある全ての存在、植物も動物も人間もエネルギーの境はないので、お互いに影響し合っています。

六根同時意発で、常に良きエネルギーを発し、周りの全ての命と触れ合うことができるようにしたいものです。

清浄とは日本の数の単位です。

マイナスは、

一、分、厘、毛、糸,忽、微、繊、沙、塵、挨、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那、六徳、虚、空、清,浄・・・ 

「清浄」・・・「清」はマイナス21乗、「浄」は23乗という極小。

ですから、「清浄」というのはとてつもなく粒子が細かくきれいなこと。

己の心の奥底にある最も清浄なる心を悟る。それに気づき、その心 になる。

「還源(げんげん)を思(おもい)となす」という弘法大師の言葉があります。

「源に還る」=「さとり」です。

神の世界の氣は高ければ高いほど粒子が細かいです。

自分の心の粒子を精一杯細かくし、神人合一、神の世界をこの世に顕現する役目を果たせるといいですね。

滝

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