著者アーカイブ: amaterasusumeraoomikami9

『物の興廃は必ず人による。人の昇沈(しょうちん)は定めて人にあり。大海(たいかい)は衆流(しゅうりゅう)によってもって深きこと致し、蘇迷(そめい)は積塵(せきじん)を持って高きことを成す。』  by 空海

 

物事が盛んになるか滅びるかは、必ずそれに関わる人によっています。人が伸びるか萎縮するかは、「道にあり」。 必ずその人がどう学んだのか? そして学んだことを、自分の人生にどのように活かし、反映させているのか? 道の最終地点に立つことが大事ではなく、そこに至るまでの努力、積み重ねが大事。その努力、根気が、その人の徳・優しさ・逞しさ・個性となる。大海は、たくさんの流れが注がれて、広く深くなり、須弥山(しゅみせん)は塵が積もり積もって高くなったということです。

 

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人の嘘には様々なものあり

全てが悪しきものとは限らぬが

己の利益を得んとする為の我欲の嘘

自分の身を護る為の嘘

人を陥れる為の嘘は

許されぬ

全てを正直に隠さず話す事が最善であるとは限らぬが

悪意のある嘘つくなかれ

地球立て直しの今

悪意ある嘘 全て表面化するものと心得よ

神許す嘘は

愛溢るる 優しき 心のこもったものであり

その光で人を包み込めるものである

人は神の子なれば

本来真っ直ぐに純粋に生きられるものなり

 

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「お陰様」という言葉・・・

「かげ」の語源は「古形カガの転じたものでカガヨヒ、カグツチのカガ・カグと同根。光 によってできる像、明暗ともに言う」(岩波古語辞典)

「光の明暗を含めて言う。光(かげ)・影(かげ)のように用いる。
「かがみ」は影見。「かぎろふ」は「夕かぎる」「玉かぎる」と同じように、その光の揺曵(ようえい)する様をいう。強烈な光でなく、しずかかにゆれて陰翳(いんえい)をも つような光のことを言う。」(字訓)

「カガ」の転じたもの。カガヤクの義から(小学館・日本語源大辞典)

「影」の第一の意味は「光」です。(三省堂・古語辞典)

どれを調べても、光の明暗に関連する言葉で、根源はカガとかカギロフとかの光の発光する様子を表す言葉です。

だから「お陰様」というのは神や他人の光があたることで、輝きを増す人間の様ということで、自分ひとりで生きているのではなく周りに生かされていると言うことがこの言葉にも現れていることに気づかされます。

伊勢神宮の「お陰参り」、この意味ですね(^^)

私たちは常に光をいただいているし、私たちは光そのもの。

 

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それ境(きょう)は心(しん)に随(したが)いて変ず

心垢(こころけが)れるときは則(すなわ)ち境(きょう)濁(にご)る

心(しん)は境(きょう)を逐(お)いてうつる

境(きょう)閑(しず)かなるときは心朗(しんほが)らかなり

心境冥会(しんきょうみょうえ)して 道徳玄存す

 

<空海  性霊集(しょうりょうしゅう)>

 

環境は、心に従い変わるもの。心が汚れている時は、それに従い環境も濁るものです。心は、環境の変化に従って常に変化していくものです。環境が静かであるときは、心も清らかで明るくなります。心と環境が合致すると、道理と徳が生成化育の根本実体である極微の玄子で充満する宇宙に存在することになります。

 

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目には目をとは

何かを与えられたら、そなたも与えなさいということ

今の世は、人に嫌な思いをさせられたら

倍以上にそれを返そうとする人たちの多いこと

神たちは そんなことを教えていないぞ

人にやり返せば またそれが

何倍以上にもなり 自分に返ってくるのだぞ

人は 返ってくるものを なぜ 幸せの思いにしないのだ

人は 愛を持ち それを与える事ができるのに

愛を 求めているばかり

こころよく それを与えれば 与えられるのに

人は 目には目をの言葉の意味 まちがっているぞ

目には目をとは

人から喜びや楽しさや優しさを与えられたら

それを倍にして返しなさいということ

人を憎み 人を毎日ののしり

人をばかにし 人を大きな人間だと思わず

人に罪を与え 人に裁きを与え

人を人と思わぬものこそ 人のおろかさに気づかなくてはならぬ

人を思いやり 喜びを与えることが

人を愛する基本なのだぞ

人の愚かさを ばかにしてたら気づかぬだろう 自分の愚かさに

人の未熟な面を ばかにしてたら 成長は出来ぬだろう

人のほんとの姿を知らないのに 人のことを悪く言いふらせば

自分の努力など だれにも理解されぬだろう

人を認め 愛すれば

自分も人から認められ 愛される

目には目を

他人を認め 愛を与えること

真似したい部分を真似してみること

ただし、人に不快を与える部分は 真似してはならぬぞ

人を憎み 復讐することなど

決してしてはならぬこと

これこそが

目には目をの言葉として 伝えたい思いなのだ

 

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『最初の悟りとは「尽くす」ことです。

入り口にあるテーマは、「他者の苦を楽に変える」と言う事です。

実験サンプルは貴方自身の、身と心。

感じ尽くし、考え尽くし、味わい尽くし、語りつくし生き尽し、尽くして、尽くして、

燃え尽くす事です。

「生命(いのち)」を尽くせば、それを「死」と名づけます。「考え」を尽くせば、それを狂気」

と名づけます。

グルグル・グルグル・・・・・・生命の渦は廻ります。

避けて、避けて、避け切れる苦など、この世のどこにも在りません。

魂が身に宿り、生まれてきたのは、真っ白な灰になるまで生き尽くすため。

この世の全てに尽くすため。

身を尽くし、いつくしみ、尽くして、尽くして、・・・

魂の殻が破れるほどに、生命の水はしみ尽くす。

それでも生命は枯れ尽くす事はないのです。

生きなさい、生きなさい、生命よ!

生命は貴方が想っているほど華奢(きゃしゃ)じゃない。

貴方が畏れている「狂気も、死も」、生命に較べれば、それほどタフじゃないのです。

生命は、狂気や死より、ウーンと逞しく、出来ているのですから・・・。

もう、いいじゃないですか!

閉ざされた己れの生命の容れ物に こだわるのは、

小さい頭の生み出す考えに縛られるのは、

貴方の念(おも)いは今、

観ている彼(か)の生命(いのち)の内で生きるのですから。

貴方のこだわりが、貴方の生命を手元に留めておけるのは、

たかだか百年足らずなのですから。

畏れが幾ら強くとも、生命を留め切る事は叶わないのですから。

貴方は他者の中で生きればよいのです。

己れの身は「空(くう)」に還ろうとも、貴方が捧げた念(おも)いは、

他者の中で確実に生きるのです。

それが、この世とあの世の「事情」です。

貴方の「都合」に基づいた想いは、せいぜい貴方の身の内でしか自由になりません。

相手も貴方も「なるほど」と、うなづけるのが「事情」です。

貴方が貴方の想いや身を、手放してもよいと決めた時、

生命この世と言う「事情」の場で、ウーンとタフになるのです。

みをつくし、いつくしみ、他者の心に香(か)は しみ入る。

この「つくし」「しみいる」「よかれ」の「行」を、「布施(ふせ)」と言います。

そして、あなたに代わって、元気に子等(こら)の生命(いのち)が遊びます。

栴壇(せんだん)の香(こう)の身を焼く功徳(くどく)の舟はたどり着きます彼(か)の岸へ

自ら灯した香(こう)なれば、

静かに念(おも)いが薫ります』

 

 

 

自ら学ぶ・「閃き」を大切にする、「浮かぶこと」が宇宙意識と繋がる基本です。 聞いたことをスタートにすると、人の心に依存が生まれます。 依存は弱さです。次に迷いが生じます。そして、疑いが生じます。 そして、詮索し始め、争いの元となるのです。

「無師智」が宇宙との交信の基本です。 それにはアンテナを磨きます。 六根清浄です。 簡単に言えば「純粋・優しい・逞しい(静けさ)」を同時に保持するのです。 この3つ又音叉が共鳴します。 第一番目に強磁性の証として、正しければ「たまたま現象」が起きます。 その時に感謝するのです。 次によりミクロに近づくために、純粋さの精度を上げるのです。 夷(仄か・ほのか)、奇(僅か・わずか)、微か...「夷奇微(いきび)」です。 急がないこと。特急に乗っていては、景色は流れてしまいます。純粋さの精度を上げるためには、何事もゆっくりと感じる事が不可欠。

純粋・優しい・逞しいを同時に保持し 尽くして 尽くして 尽くし切る人生にできるようこれからも精進したいです(^^)/

 

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小冊子で「橋」の写真を見てた時のこと・・・

「ハ」と「ハシ」の言霊が響きわたり 天と地のかけ橋がクルクルと私の中で回り神様の柱まで想

いは巡り・・・

いつものことですが、言葉にするとちょっと違ってしまったり 難しいのですが、その時私の中で

クルクルしていたことを言葉にしてみます。

「ハ」というのは延び開く言霊で二つを意味します。

「歯ハ咀ミ切ルナリ」「刀ハ切リワクルナリ」「葉ハノビヒラクナリ」で

「切れ分る也」です(by言霊玄修秘伝)

「橋」といふシは補言なり。ハは二(フタツ)の義にして、両方の端に名をなす。箸といふも、

ハは二本を宰の名にして、シは補言なり。ハは総て、左右上下の両(フタツ)を宰の例。

ハサミ、ハカマ、歯、葉、羽、ハシメ(始)ハナレ(放)(by言霊秘書)

橋の語源は、端(物事の始まる処・尽きるところなど)と同根で、「端と端との間にわたすもの」

です(岩波古語辞典)

庭から堂に登る通路の「はし階(梯)」。

私たち人間は食べ物を体に取り入れてエネルギーを得ます。

そのエネルギーの橋渡しをするのが「箸」。日本人には必要なもので大切な文化でもあります。

御存知のように神話の中にも「橋」はでてきますよね。

伊邪那岐と伊邪那美命が天神(あまつかみ)のみことのりを受け高天原と地上との間にかかる橋で

ある天浮橋(あめのうきはし)にお立ちになり国創りをなされました・・・とあります。

「柱」も「はしハ屋根ト地上トノ間(ハシ)ニアル物ノ意、らハ助辞)」で やはり「ハシ」と

「ラ」です。

「天柱(あめのみはしら)」という言葉もありますが、日本書記にもこの言葉が出てきます。

「是の時、天地相去ること未だ遠からず、故れ天柱(あめのみはしら)を以って天上に(あめ)に

挙(おくりあ)げまつりたまひき」(天照大御神の誕生において あまりにも素晴らしい子供がお

生まれになったので天柱を以って送り上げた・・・という一節)

天と地を繋ぐ橋という観念がとても強くあらわれているような感じがします。

そして 神仏を数える助数詞は「柱」ですよね。

天と地を繋げる光の柱となって地球にいる私たちを見守っていてくださいます。

あちこちの神社に地上の人の国と天上の神の国とを繋ぐ橋がかけられていますが、神様に近づくの

に罪や穢れを祓い清めるという意味があります。

場所によっては福岡県の太宰府のように太鼓橋・平橋・太鼓橋のように三橋かかっているところも

あり、三つの橋を渡ると過去・現在・未来の邪念が祓われると言われているようです。

何かと何かを繋ぐ重要な役割をしている「ハシ」。

人と人を 天と地を ある地とある地を 人と物を・・・

自分もいい「ハシ」になれたらいいなと感じますし、この世の人全てが皆意識の上で仲良く繋がり

植物も動物も神々もみんな繋がりひとつになれたらいいなと思います(*^_^*)

繋げる「ハシ」大切にしたいですね(^^)

 

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人の魂は本来思いやりの心を持つ素直で優しき魂なり

我欲が苦しみ産み出し

素直に生きることを邪魔し

結果 自他共に傷つけること多し

一切の執着持たず

我を張ることなく 素直であれば

ぶつかり合うこともないとわかっていても

素直になることできぬが人の感情の難しきところ

神にも素直に

人にも素直に

己にも素直に

何事にも執着せず 心身共に緩め 素直に生きるは

最高の幸せなり

不平 不満 不幸の原因を己の外に責任転嫁するなかれ

己の我の強さこそ不幸を招くこと悟れよ

 

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そなたたちは 海をどのように思っていらっしゃいますか

海は そなたたちを生かしております

海は たくさんの命を生かしております

海があるから地球が成り立っているのです

空を飛ぶ鳥たちも 生きる為に 広い広い海を渡り命を繋いでいるのです

嵐がこようとも 何かに遮られようとも

生きる為に 飛ぶしかないのです

そなたたちは たくさんのものに恵まれ

たくさんの命をいただき たくさんのことが出来るのです

人間に与えられたものを良きことに使えば 人々の命は繋がれ地球も保たれるのです

地の中が変化しているように

海の中も変化しているのです

それに気づくことです

気づき 動くことです

人には考える事が出来るのです

人には事を変える力もあるのです

どうか祈りを捧げてくだされよ

祈りがどんな力を持っているかわかりますね

祈りで良き方向へ変えくだされよ

人々の意識が この海を この地球を守っていくのですから

 

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天と繋がり生きること

どんな仕事にも 人との繋がりとなるものがるのだぞ

魂で感じた言葉は 考えての言葉とは違い

人の心との暦のようなもの

今という時だけでなく

御魂との関わりとなる

何時間 何日 何カ月 何年という月日の重なりにもなる

些細な言葉のやりとりでも

しっかりと心は通い合う

人を妬まず

人を羨ましく思うことなく

人と心で向き合い

人に接し

人を愛する

人との関わりは 自分の心と関わりの現れ

人のせいにする前に 己を見よ

人のあらを探す前に 己を見よ

人に怒りをぶつける前に 己の心に向き合ってみよ

己の心は見えなくとも

自分の人に対する態度や思い 言葉に現れておる

人には 己の怒り

決して 相手のせいだと責めてはならぬ

人の間違いも その者の生き方である

間違いは 問われた時 話している時に教えるもの

今という時に伝えなければ その者の理解は難しい

生き方は それぞれであり 決して間違いなどどこにもない

その者が選んだ道

いいはずないと思っていても その者の心は喜びを感じていたりするもの

己とは 心の在り方が違うだけ

正しいことも

間違いも 後でわかる

わかった時に どう感じ どう考え どう進むかをまた

悩み 苦しみ 道を見つけるもの

人は皆同じ

人を批判する者 人を見ていないということ

人を受け入れない者 人を尊いと思っていなということ

人を大切に思えない者 人から学びを与えてもらうことに 感謝の思いを持てないということ

人を避けてしまいたいと思う者 人に今の自分を知られたくないということ

人を疎ましく思う者 人の生き方を比べているということ

人に優しく出来ない者 人を下にみているということ

人を査定してしまう者 人より優位になっていたいということ

これらは 全て必要なし

人を尊い

人を大切に思い

人を愛す

それだけである

人は 心を持っている

それは 人のことを考え 人のために行動できるということ

行動も同じ

己をかこい 何かをするより

その姿を見て こんなにも大きく変われるものならと

希望を見せてあげるのです

人にありのまま 自然体の自分を見せることも

人との大切な繋がりなのです

たくさんの人に 生きる喜びを教えてください

最高のひと時を考えてあげなさい

 

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