著者アーカイブ: amaterasusumeraoomikami9

『頼』は『頁』を『束』ねると書きます。昔は、骨や甲羅や木や竹に書き、穴を開け紐を通し一束

に束ねていました。

それには大切な教えが書かれていたわけです。

つまり頁を束ねた物が示すのは『教え』なのです。

先祖達が身を以って行じた『智慧』です。

是は何よりも『頼り』に成るわけです。

『頼もしい』とは、親や先祖の託した念いを解して、それを教えとして実行していることを指

します。

 

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二極化進む今

嘘 悪事 次から次へと露見し表面化され

善行為す美しき魂が生きやすい世と変わりゆく

不条理なるもの繁栄すること許されず消えゆく運命

本物のみが通用する良き世となる

本物見抜く目を持て

己を惑わし乱す素は己の心に有り

中庸保てぬうちは

起こる現象の本質・原因見抜けず苦しみ生む

中庸なれぬ その心が悪を拡げる

 

 

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「教育」とは、意識の大地を耕す事。「耕す」の「耒(すき)」は、「大地を耕す耒」です。「井」は「水であり生命が湧き出ずる井戸」であり、「真理・智慧」の泉を顕していると解釈できます。「心の荒れ地を耕し、がれきや汚れを取り除き、潤いを与えること。」これを「教育」と言う。相手の心がまだ十分潤ってなく耕されていないのに、種を撒いてもいい芽は出ません。整うには、それなりの時間が必要でありタイミングがあります。

英語では耕すのことを「cultivate」と言いますよね。「文化(culture)という言葉はここから来ています。辞書で「文化」の第一の意味は「権力や刑罰を用いず導き教えること」です。「教育」です。

その教育を通し、人間が自然に対して働きかける過程で作り出した物質的・精神的所産が文化です。荒れ野にそのまま種を撒くのではなく、邪魔になる根を起こし、がれきを取り除き、整え、汗水たらし、しっかりと耕し、大地に水を浸透させ、潤わせ、風を読み、日差しを読み、時節をわきまえてから、ようやく一粒ず丁寧に間隔を踏まえ植えこんでいく。これを「教え育む 教育」と言います。

人間には肉体の年齢と魂の年齢があります。相手に合わせた教育ができるといいですね。

 

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食や物あふれ便利になり過ぎた今の世

我欲にまみれ 我慢忍耐できぬ者増え

人を騙し命を奪ってでも金品奪う者もあり

周りの人を信じる事が難しい世なれど

人を信じる心を失うなかれ

己の周りにいる人 誰も信じられなくなる世ほど

悲しきものはなし

誰も信じることができぬ世

日本の終わりなり

闇強き今のこの時そこ

人と人との絆深め 信じることのできる人を増やしゆけよ

茲(ここ)とは 生まれてより父母の懐(ふところ)を不離(はなれず)して

父母の光と愛を受け継ぎ 物覚而育(ものおぼえしてそだ)つこと

人は父母の誠から生まれる

父母の間(ま)にひとつの凝(こ)りを為し生を享ける

これを間凝與(まこと)といふ

間凝與は 誠  真  信  光なり

茲とは 光を繋ぐこと

己を信じ 人を信じ 神を信じ

諦めることなく 光の世を創りたまえ

 

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人は人生の中で幾度も試される

様々なる現象 人との出会い通じ

己の魂の 偏り 弱さ見せられ 欠けを知る

己を高きと思うなかれ

人を己より低しと見下すなかれ

人より高しと思う心 傲慢なるぞ

魂穢す邪氣無くなる時

大宇宙に融和し 己の魂 燦然と輝き

宇宙が最も望む己となることだろう

 

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宇宙創設時

善悪二極別れしは

互いを補い 均衡 調和を保ち進化の為なり

そは 陰陽 表裏なる理なり

原初の悪は善を補う対なるもの

邪に非ず

なれど 宇宙の意図から外れ 悪は分化 分散 集りて

宇宙進化阻害し 神の認めぬ悪に変貌す

光の波動のみが宇宙意思から外れし悪を無にするなり

 

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人は自らの心に惑わされるが故

あらゆる迷いの世界の波は揺れ動き 静まらず

心の源に還るのならば

心の広大な水は澄み渡り

その清らかな水は森羅万象全ての姿を歪みなく映し出す

神仏の御心をそのまま映し出し

この世に顕すことのできる

澄静(ちょうじょう)なる水となれ

 

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人は失うことを恐れる

家 家族 健康 お金 地位 名誉 命

恐怖も 心配も 不安も 執着ある故湧き起る感情

己という小さな枠にのみ意識ある限り

苦しみは生まれる

宇宙に意識広げるなれば 己無きこと 失うものなど一切無きこと気づき

魂は光を増さん

 

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場を活かし

時を活かし

人を活かし

物を活かし

想いを活かす為に

礼儀作法は 日本の中の隅々に有り

気配り 躾け 身に付けてきた教養

今までの人生で得た心の栄養が

身体から発する波動として また言霊として響き渡り

その者の品位 品格現れるなり

 

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自然の霊威や神威というと・・・

『かしこ』という言葉を思いだします。

手紙の末尾に「かしこ」と書きます。

なぜ 「かしこ」なの???と思ったことはないですか?

「かしこし」を調べると、身も心もすくむような畏怖の気持ちをいうのが原義です。

海・山・風・雨・雪・川・雷・木・道・草・花・・・など

あらゆる自然に霊が宿っていることを認め、それらの霊威や神威に対する畏敬の念です。

祝詞の中にも「掛巻母畏伎」=(かけまくもかしこき)=言葉に出して言うのも畏れ多い。

とか「恐美恐美母日須」=(かしこみかしこみももうす)=敬い慎んで申し上げるというのがあり

ます。

自然の霊威や神威を恐れかしこむ気持ちから発展して、畏敬すべき力を持ってる人のことを表す賢

人という言葉が生まれたのでしょう。

宮中の「賢所」というのも納得いきます。

みなさんご存知のように、手紙の最後に書く「かしこ」というのは宛先人への敬意を表したもので

すが、この言葉が「自然の霊威や神威」に由来するものだということを日本人と して知っていたい

ですね。

日本語はやはり素晴らしいです。

 

 

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